私には亡くなった友人がいる。
太陽のように明るく、眩しいくらいの笑顔を放つ子。
そんな人が亡くなってしまった。
彼女は高校の時の同級生で、いつも周りにはたくさんの友達がいるような子だった。
そんな彼女の明るく朗らかな雰囲気は男女問わない人気があって、実際に文化祭の人気者ランキングなるもので1位をとっていたくらいだ。

一番辛かった時を支えてくれた彼女には一生頭が上がらない

ある時、私はクラスの中で浮くようになって学校に居場所がない上に、悪意で晒される出来事があった。
その時はすでにSNSが普及していたから拡散されて、高校だけでなく繋がりの薄い中学の人にまで散々な言われようをした。

もう退学したい。砂にでもなってしまいたい。

毎日そんなことばかり考えていた。
そんな時に助けてくれたのが彼女だった。

正直にいうと私と彼女はそこまで仲が良いわけではなかった。悪いわけでもないけれど。
クラスも一度も一緒になったこともなければ同じ部活に所属していたわけでもない。
ただの同級生と言ってしまえば本当にそれまでだ。
だが、彼女はそんな遠い関係の私のことを気にかけてくれた。
わざわざ連絡を入れてくれた。
「とても心配になったから連絡した」と。
昔からあまり友達ができず、人間関係がうまくない私にとって人が怖いとしか思わなかったけれど、自分の人生で一番辛かった時を支えてくれた彼女には一生頭が上がらない。と思ったし、心から感謝している。

ただ、そんな恩人が亡くなってしまった。
わたしは散々助けてもらったのに。
そのお返しもできていないのに。
毎年迎えるはずの誕生日の蝋燭の数は永遠に変わらないし。
年々歳を重ねていく私と対照的に彼女はずっと若いままだ。

そこに何度足を運ぼうとも、もう彼女には二度と会えない

そして葬儀当日、書き残していたメモがある。

風が少し強くて桜舞う季節でした。
お通夜があった昨日は少し肌寒くて
それとは変わって今日は◯◯ちゃんみたいな
良いお天気ですね。
昨日はすごく悲しくてたくさん泣いてしまったから
今日はこの天気のように悲しい雰囲気じゃないように送り出したいな。
助けてもらったのに守ってもらったのに
私は何も返せなくて、救えなくてごめんね。
◯◯ちゃんはこれからも私の中で生き続けるよ。
出会ってから3年間、とても短い時間だったけど
ありがとう。大好きだよ。

彼女が亡くなってから数年が経つ。
辛すぎる悲しみは薄れたものの、「この世界にもういない」ということが理解できない。
今でも彼女の家にたまに会いに行ったり、お墓参りをしたり。そういうことはする予定だ。
だが、そこに何度足を運ぼうとももう彼女には二度と会えない。
「最近どう?」なんて近況を聞けることもない。
どんなに些細なことでも中身がなくても、そこにいる、話ができることがどれだけ尊いのか。
どれだけ人生を繰り返そうとも彼女のような人になれる気はしない。
彼女の貴重な人生の一ミリを私に使ってくれたこと、本当に本当に誇りに思う。

今でも時々見返して、眩しい笑顔に元気をもらっている

お墓や遺影ではなくニコニコと笑う、太陽のようなその笑顔にもう一度、いや一度と言わず何度でも会いたかった。
わたしがすごく辛かった時に支えてくれて本当にありがとう。
そして私は何も出来ず、何も助けてあげられなかったこと、本当にごめんなさい。
ただ、高校でいつも会った時には仲良くしてくれてありがとう。
写真もたくさん一緒に撮ってくれてありがとう。
あの時も彼女と撮った写真は宝物だったけれど、今でも時々見返して眩しい笑顔に元気をもらっているし、今でも私の中では彼女は生き続けている。

時は2021年になってもうすぐ桜の舞う季節を迎える。
最近はマスクをしなければどこにも出掛けられなくて、うんざりしているけれど、彼女だったらきっととびきりチャーミングなマスクをしているに違いない。
そして行く先々で人を笑顔にしているんだろうな。
またどこかで会えたら、その時にでも話がしたい。