私の身長は170cm。幼稚園に入ったときから、背の順に並ぶと大体一番後ろだった。性格は内気でおとなしく、みんながおままごとをやっている中に「入れて!」と入っていくことが苦手だった。

自分の未熟さを批判される言葉には「デカいくせに」がくっついてきた

小学生になると、クラスの中で発言力のある子とない子の差が出てきて、力関係がはっきり表れた。私はその中で強い力を持つことはなく、仲の良い子以外の子と話したり、人前に立つことが苦手だった。

そのおとなしさと目立つ身長により、私は“からかい”の対象だった。運動も勉強も人並みだった私は、大きい身体のぶん、ドッジボールでは狙いやすい的だったし、何かを言われても言い返すほどの語彙力も度胸もなかった。

小学校2年生のときの遠足で、じゃんけんに負け、私はグループの班長をやることになった。内気な私には、もちろん地獄だった。4~5人の先頭に立ってグループ行動をしなければならないが、何をすればいいのか分からず、周りのグループの動きをキョロキョロと見ていた。そのとき「何してるの?班長失格。デカいくせに」と後ろから聞こえてきた、同じグループの女の子の声が胸に刺さった。

それから幾度となく、自分の未熟さを批判される言葉にはたいてい、「デカいくせに」がくっついてきた。同級生からは「デカいだけで運動できない」とか「身体のわりに度胸がない」、大人からは「大きいのに自分の意見をはっきり言えない子」といった内容のことを言われた。

私から「デカい」という特徴を差し引いたら、何も残らないのでは…?

年齢を重ねたわけでもないのに、身体が大きくなっただけで、運動や勉強、精神的にも成長するのだろうか。私はいつも実年齢よりも、2~3歳上に間違えられるから、そのぶん期待値が高いのだろうか。どちらにせよ、迷惑な思い違いだ。「デカいくせに」と言ってくる人たちを嘲笑する一方、“ただデカいだけ”の自分に不甲斐なさを感じていた。私から“デカい”という特徴を差し引いたら、何も残らないのではないかと思った。

そんな中、私は小学校3年生から、学習塾と地域のスポーツクラブに通うことになった。どちらも始めてみると面白く、何より他校に友達ができたことが新鮮で、楽しく通っていた。

気付けば、学校のテストでは毎回高得点で、みんなの前で先生から褒められるようになった。また、体育のリレーやドッジボールも活躍できるようになっていたことには、自分でも驚いた。そして何より、他校の友達やその保護者と話す機会が増えたことや、スポーツクラブで大きな声を出すようになったことにより、活発さがようやく芽を出した。小学校を卒業する頃には、私は“おとなしい子”を完全に脱し、何を言われても言い返すようになっていた。

私はデカいだけじゃない。「身長」を差し引いたとしても武器がある!

そして中学生になると、仲の良い友達が私のことを「勉強も運動も出来て面白い、完璧ガール」と言ってくれた。そのことがとても嬉しく、彼女がくれた「完璧ガール」という表現は私に自信を与えてくれ、努力し続ける後押しとなった。

今でも仕事などで人前に立つと、足が震えることがある。そんなとき私は、昔言われた「デカいくせに」と「完璧ガール」の両方を思い出し、自分を奮い立たせている。

私は“デカいだけ”じゃない。私からこの身長を差し引いたとしても、私には武器があるのだ。