他人と自分を比べないで生きていきたいと思った。
「よし!今日も寂しいし、SNSを徘徊して過ごすかー!」
話しかけるわけでもなく知らない人のアカウントからアカウントへ、人柄を知るためにまず投稿された画像を黙々とチェック。
画像欄に並ぶ「彩り豊かに盛り付けられたお料理」。ダメージ。
「ブランドのお洋服」「背景もお洒落に撮られたお化粧品」「自分よりもパッチリした目」。大ダメージ。
やってしまった...苦しくなってギュッと目を瞑った。「ハイ!これが幸せってやつです!」って両手を大きく広げて大声で叫ばれてるみたいな写真の羅列に、私の全てが否定された気持ちになった。所謂丁寧な生活の同調圧力がSNSの中には存在していて、ぎしぎしと心が歪む音がした。
フォロワー数を確認したらやっぱり多かった。そちら側に行けない私が着ている服には毛玉がポツポツ付いてるし、髪は伸びてボサボサで平気で素っぴんで買い物に行くし、おまけに綺麗とは言い難い部屋でだらだらしている。
でもね、こんな生活でも結構楽しいんだよねー。
「バンッッ!」。顔に大きなバツマークが貼られた。
気付いたら触っているSNS。そして傷つく日々
まだインターネットが未発達だった頃は、他者からの見られ方をこんなにも過剰に気にする必要はなかったのに、現在は指先1つであっという間に全世界の人と繋がれるようになったから、良くも悪くも簡単に自分と他者を比べられる時代になってしまった。
今日もスマホを握りしめて、「もうやめなよー」と頭上に浮く天使の声に耳を傾けることなくポチポチスマホを触る。数日前に大ダメージを食らっても、重い体を引きずって心が弱っていても反対に全身から元気が漲って、無敵感たっぷりでも毎日チェックは怠らない。
知りたい情報だけを見て辞めればいいのにスクロールする指は止まらず、また次から次へとアカウントを飛び周り時間を無駄にしていた。
心が比較的安定している時になら目に入っても上手くかわせる誰か宛の心無い言葉に傷付いては、最悪を加速させるだけ加速させ、目の前が真っ暗になる日も珍しくはない。
そんなどうしようもない日々を過ごす中でふと我に返って気付いたことがあった。
「自分のことを大切にしてなくない?」
よく考えてみたら、この一連の行動は傷付くと自覚していながらもエゴサーチが辞められない芸能人と一緒だった。不安に押しつぶされそうな日も、わざわざ自分から傷付けられに行くなんてどうかしているし、完全にSNSに振り回されている。
キラキラSNSから切り離すには?
このままじゃ良くないと思い、ルールを課すことにした。
その1「心に余裕がないときは距離を取ること」。
その2「読書や音楽鑑賞など別の趣味で意識を他の所に向けること」。
その3「SNSに辛さの全てを癒してもらおうとしないこと 」。
距離を置いたことで冷静になり、これからSNSとの付き合い方を見直すようになった。歳を重ねる中でいつの間にか、自分を否定して他者を羨むように思い込んでいたんだと思う。
「二重のほうがかわいい」とか「整った部屋に住まなければならない」とか。
押し付けるような言葉も飛び交っているので、完全に他人比べないことは難しいが、全ての言葉を受け入れ他人と出会う度に比べる生活をこの先していくことを想像したら、真っ暗で苦しいだけだった。
より良い生活をするために視点を他人から「過去の私」に変えて、過去と比べて現在の良くなったことをだけを思い出すようにし、私が私のことを好きになれるように比べる回数を少しずつ減らしていこうと思う。
またSNSの存在に引っぱられそうになったときは、年齢を重ねてきた思い出を振り返りながら、私が持っている芯を太く強い物にしていきたいと思います。