人は見た目がなんとやら、とはよく言ったものだ。内面が大事なんて綺麗な言葉は嘘くさい。結局この世はルッキズムに支配されていて、ご多分に漏れず、私はいつも「自分がどう見られているか」気にしてしまう。
 パープリッシュグレイのアイシャドウで目元を瞬かせて、アイラインを引き、マスカラをつける。ローズピンクで頬を明るくし、唇はワインレッドで描く。胸元が大きくVに開いた黒ブラウスに、白レースのロングマーメイドスカートを合わせる。ちらりと見える足首の先に収まるのはグレージュのパンプス。……こんなふうにメイクもファッションもばっちりキメて、7cmのヒールをカツカツと鳴らし、長く伸ばした黒髪を揺らしながら街を闊歩するときでも、ある不安が頭の片隅に浮かんでいる。
「私は今、女らしいだろうか?」

かわいげもへったくれもない「男(だん)キャラ」に認定された私

 大学入学までの私は「女らしさ」をそこまで意識していなかった。
 部活に打ち込んだ高校時代。文化系でありながら、全国大会出場に向け「願掛け」としてそれまで伸ばしていた髪をバッサリ切った。部活を引退した後も、受験勉強に心身を切り替えるためにまた「願掛け」をした。だから、大学1年生になった私は項が見えるほどのショートヘアだった。

「お前、1女じゃないわ。男(だん)だよなぁ」

 あるとき、同期のひとりの男子がこの一言を放った。100人単位の大きなサークルで、かわいい子も綺麗な子もたくさんいた。その中で地方から上京してきた私はさぞ芋くさかったのだろう。大学生特有のテンションにもついていけず、その様子が周りからは妙に落ち着いて見えたらしい。
 生まれつきの低い声、加えて短い髪の毛。男子にとって、私は「1女らしい」かわいげもへったくれもない「男(だん)キャラ」に認定されてしまった。

 この一言を受け、私は不快感を覚えたが同時に「オイシイな」とも思った。
 なにせ大規模な組織で、先輩や同期から覚えてもらうのにもわかりやすいキャラクターがあった方が交流を広めるにはいいかもしれないと考えたからだ。
 ひとりの男子の発言は広がり、周囲から私は「男(だん)キャラ」扱いをされるようになった。それに対して私は「やめてよ~」と言いつつもヘラヘラしていた。強く否定しない私を周りはからかい続けた。そのおかげか大規模なサークルにもかかわらず私は知られるようになり、先輩からも声をかけてもらえるようになった。

私が好きで行うこと、かわいいと思ったもの、そのすべてが否定されていく

 風向きが変わったのは、お昼に開かれたサークルの集会での出来事だった。みんながそれぞれ昼食を持ち寄る中、私は自分でつくったお弁当を広げた。それを覗きこんだ男子がこう言った。

「男(だん)のくせにお弁当とか作れるんだ。それオイシイの?」

 耳を疑った。別に褒められたかったわけじゃない。でも、こんな言葉をかけられるなんて夢にも思っていなかった。私は美味しいものをつくるのも食べるのも好きだから自炊をしている。外見とか雰囲気なんて関係なく、私が好きで行ったことに対してまで「男(だん)キャラ」はついて回るようになっていたことに気づいた。

「ハートの絵文字使うとか、らしくないよね」
「髪アレンジしてんの?意外とそういうの気にするタイプなんだ」
「スカート履いてんじゃん」
「けっこうかわいいキャラクター好きなの笑える」

 投げかけられる言葉の数々は私に深く突き刺さった。相手からしてみれば何気ないからかいだっただろう。私が曖昧な態度でいたことも悪い。でも、いずれ飽きられると思っていた「男(だん)キャラ」いじりは次第に私を追い詰めていった。
 私が好きで行うこと、かわいいと思ったもの、そのすべてが否定されていく。
「それオイシイの?」
 男子の一言はお弁当に向けられたものだったが、「男(だん)キャラ」を受け入れていた自身を変えようと決意するきっかけになった。

社会人となった今でも「女らしさ」の呪縛は続く

 「男(だん)」キャラを脱却するにはその対極となる「女らしさ」を手に入れなければならない。
 そう信じこんだ私は手を尽くした。
 コスメカウンターに駆け込んでメイクの仕方を改めて学び、ファッション誌を読み漁って「セクシー」「フェミニン」とされる装いを模倣した。
 眉毛を整えたり、まつ毛パーマをかけたりするためにサロンに行った。
 ボディメイクにも勤しみ、ホットヨガやジムに足繁く通った。
 パーソナルカラー診断・骨格診断なるものが流行ればすぐに予約し、ブルべ冬・骨格ストレートという結果から、自分が一番「女らしく」映るにはどうしたらいいかを研究し続けた。

 短かった髪が胸元のあたりまで伸びたころ、努力の成果あって私は「男(だん)キャラ」を卒業していた。かわりに、「愛人キャラ」と評されるようになった。以前とはあまりに異なる周囲の反応が愉快で、私はいつもそれっぽい振る舞いを心がけた。
 いずれにせよ、結局私は周囲の求める型にはめられ、レッテルを貼られているだけに過ぎなかった。だが、もうそれでよかった。「男(だん)キャラ」では認められない私の嗜好も「愛人キャラ」では肯定され、よほどマシだと思ったから。

 学生時代は終わり、社会人となった今でも「女らしさ」の呪縛は続く。長く伸ばした髪はその象徴だ。ショートでもボブでもかわいくて綺麗な女性は大勢いる。わかっているのに、どうしてもロングのままで、髪を切るのが怖い。「男(だん)キャラ」に戻ってしまうような気がする。
 いつか髪を切るときがくるのなら。ようやく私は「女らしさ」に囚われることなくメイクやファッションを心から楽しめるのかもしれない。そのときを夢見て、今日も私は「女らしく」装っている。