数年に一度、伸ばした髪をバッサリと切る。
理由は単純、飽きるからだ。例のごとく、数か月前に、胸元まであった髪をバッサリと切って耳掛けショートにした。こんなに切るのは中学生以来だろうか。
近年、芸能人やモデルもショートの人が増えている。私の好きな芸能人も最近さっぱりとしたショートにしていたため、憧れに近づきたいという気持ちも少なからずあった。
参考写真を美容師に見せると、「こんなに切っちゃっていいんですか?」と驚かれた。以前、そのうちバッサリ切りたいと話したとき、「かわいい系の顔立ちだから、どうかな?」と難色を示していたので、今回も想像通りの反応だ。

髪を切る決意に迷いなし。強く凛とした自分を手に入れたい

「いいんです。少年みたいにしてください」

迷いはなかった。私は何かと形から入るタイプで、ジムに通い始めるときもシューズやウェアを一通り買い揃えた。今回も、髪を切ることで強い自分になりきりたかったのだ。
美容師の言う「かわいい系の顔立ち」も、褒めてくれているのかもしれないが、「年齢のわりに垢抜けていない、大人しそうなお嬢ちゃん」ともとれる。大人しそうなお嬢ちゃんは人当りが良さそうなので、場合によっては便利な外見だが、強く在りたいと思うときには枷になる。
もう、街中でのナンパや職場のオジサンたちのプライベートに踏み込んだ質問は心底うんざりだ。また、プレゼンでの迫力も欲しい。人当たりが良さそうな感じはすでに習得している。それなら次は「この人に任せたい」と思ってもらえるような凛とした姿勢を身に付けたい。柔と剛の強さが欲しいのだ。

さようなら、昨日までの私。オジサンの陰口だってうまく切り返せそう

これまで私の一部だった髪は、切り落されて床に散らばっていた。かき集めたら小型犬1匹が形成できそうな量だ。それは、自分の中にあった不安の塊のようにも見えた。
美容室を出ると、身も心も軽かった。首元をかすめる夜風が、凛とした気持ちにしてくれた。

翌日、出社すると職場の人はいろいろな反応をしてくれた。「似合ってる」「いいね」と褒めてもらえるのは、気恥ずかしいけれどうれしかった。
私が席を外している間、案の定「失恋したのかな?」と話すオジサンがいたらしい。なんとも厄介だ。でも、その場にいた同期のギャルが「あの人はそんなことで髪切るタマじゃないっスよ」と言い負かしてくれたようだ。
後日、その話を耳にし、彼女に全幅の信頼を寄せた。もう私は大人しいお嬢ちゃんじゃない。もし私がその場にいたら、失恋したのかなオジサンになんて言ってやろう。「失恋なんてしませんよ、させることはあるかもしれませんが」くらい言っちゃおうかな。なんて、本人を目の前にしていないからこそ思えるのだが。

ショートにしてファッションの振り幅が広がり、なりたい私を演じきる

ショートにしてから、おしゃれが楽しくなった。ロングの頃は、職場では浮かないように、そして舐められないようにと、パンツスーツにローヒール、適当メイクで出社していた。髪を巻くこともあったが、かわいらしい感じになりすぎないようにまとめていた。今思うと、その姿が大人しいお嬢ちゃんに拍車をかけていたのかもしれない。
ショートの今、同じような格好をしても鏡に映る私は以前より快活に見える。そして、休日はかわいい系にもクール系にもなれる。かわいいワンピースを着ると可憐なお嬢さんになれる。一方で、デニムにTシャツ、ちょっとしたアクセサリーを合わせると洗練されたお姉さんにもなれる。
顔周りがさっぱりした分、メイクも映えるような気がして、いつもより強めのアイシャドーやリップに挑戦するようになった。髪型ひとつで印象も気分も大きく変わる。以前より快活さを身に付け、自分自身に磨きがかかったように思う。大人しいお嬢ちゃんから頼れるお姉さんまで広い振り幅を手にした私は、さながら女優だ。気分に合わせてヘアアレンジをし、メイクと服を合わせて、なりたい私を演じきる。