私は、元々は仕事をするのが好きだった。オフィスに座ってパソコンを触って過ごす職業よりも、大好きな人に関わっていたくて、迷わず選んだ接客業。サービス業は毎日が新しいから楽しい。お客様に喜んでもらうのが嬉しい。

だから、辛かった。仕事に行くのがしんどいと思い始めたことが。

向上心の高い同期と仕事をするのがきつくなっていった

仕事が楽しいと感じるよりも、大変だと感じることが多いことは聞かされていたし、解っていたつもりだった。しかし、大変なのとしんどいのはまた違う。やることが多くて忙しいとか、残業になるとか、そういうことは何回かあった。そして、それは別に嫌ではなかった。肉体的疲労は確かにあったが、精神的に参ることはほとんどなかった。なぜなら、自分の業務が好きだったからだと思う。

私は社会人になって分かったことがいくつかある。それは、自分が事前準備をしっかりして、万全な状態で臨み、帰ってからもきちんと復習をするのを厭わないということ。
例えば、貰ったマニュアルは家に帰って何十回と読み返し、時にはシチュエーションを想像しながら声に出して練習をすることもあった。そして、新しいことをどんどん任されるよりも、業務に慣れた上で、自分にできることを少しずつ増やしていきたいということだった。

だから、向上心の高い、私の同期と一緒に仕事をするのがだんだんきつくなっていった。
彼らはびっくりするほど、仕事を覚えるのが早くて、高いモチベーションと野心を持ち、「どんどん新しい業務を!」とがつがつしていた。一方私は、一つ一つの作業を丁寧に着実にこなしていきたかった。出来る業務が広く浅くあるよりも、自分が確実に出来る業務に慣れていくことが、お客様にも迷惑をかけないと思っていた。
次第に、覚える仕事が多く、自分のペースで進みたかった私は、次第に劣等感にさいなまれていった。要領の悪い私に先輩も呆れていると思い込むようになっていった。それから、仕事に行くのが恐くなった。以前まで気にしたこともなかった周りの反応に怯えるようになった。

目標高く持たなくてはダメですか?

私は好きな仕事を楽しみながらしたい。それが第一前提であり、自分の出来ることを増やして、キャリアアップをすることは正直どうでもいいのである。どんな仕事にも自分にしかできないやり方というものがあるはずで、自分は数少ない業務であってもそれを追求することにやりがいを感じるのだ。自分らしい方法でこなしていきたい。

それなのに…目標高く持たなくてはダメですか?常に2年後、3年後の自分の姿を追い求めないとダメですか?
別に怠けてなんていません。仕事に対して情熱がないわけでもありません。あぁ、どうしてこうもうまくいかないのか。毎日プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、夜は眠ることさえままならない日が続いた。

他のポジションでの仕事に慣れてきたころに、緊急事態宣言の発令

そんなある日、自分から希望した訳でも、部署から追い出されたわけでもなく、偶然他のポジションで仕事ができることに決まった。私は、それを心機一転と思って、また仕切り直して頑張ることにした。そちらの部署では、幸いチームの雰囲気も合い、だいぶリラックスした状態で仕事をすることができた。徐々に仕事に対するトラウマも薄れていく。ようやく慣れてきたそのころに、再びやってきたコロナとそれに伴う緊急事態宣言の発令。サービス業はこれに大きく左右され、自分が担当していた部署は当面の間、営業しないことが決まってしまった。

あと一歩で、仕事をする楽しみやモチベーションを取り戻せそうだったのに。いつ終わるか分からない休暇を全く楽しめない。仕事が再開したら、また気分を新たに頑張れるだろうか。自分が働く理由とは、生活のため、お金のため。だけどやるからには、楽しみたい。やるからにはきちんとこなしたい。丁寧に接客したい。効率の良さ、スピード重視の熱血系企業に負けてたまるか。大丈夫、自分にしかできないやり方で頑張ろう。