この宇宙の中の小さな惑星の地球という世界で、私たちは手に握りしめているスマートフォンで色々な人と繋がっている。

SNSは、場合によっては人を傷つけ、殺すこともある。反対に誰かを楽しませ、感動させることもある。発言した言葉に対する、共感と反感。特定の内容に対しての意見、年齢別の考え方。

一つの内容に、答えは一つではないかもしれない。この世界75億人の意見を聞けば、たくさんの答えが出るだろう。だから私たちは、この様々な考え方を受け入れることも大切になってくる。

高校生になり、好きになったのはみんな「女の子」だった

例えば、セクシャルマイノリティー。自分は、これに当てはまる。世の中には、理解してくれない人が沢山いる。家族もその一員。最近では、テレビでもその話題を取り上げる。

でも、そのテレビが流れている時は必ず変える。何故なら、みんながそれを嘲笑うから。当事者からすれば、ただの恋愛であり普通だけれど、人々はそれを可笑しいと嫌う。だからといって、皆全てに隠すわけではない。話せる友人には話すし、SNSではそういった人たちとも繋がる。もちろん出会いだってある。

高校生になり、好きだと思った子はみんな、女の子。あの透き通る歌声と響き渡るギターを弾く女の子。SNSで出会った、同じ趣味を持つ北海道の女の子。僕は、触れたいと思った、少しでもいいから。そう思っていた。

男とも付き合った。唇に触れた時、違うと思った。「好きだ」と言ってくれた女の子とも付き合った。居心地がよかった。自分が本当になりたかったのは、男だと気付いた。

だから、僕は願った。男になりたいと。髪を切り、服装も男に近づけた。ただ、身長だけが足りなかった。それ以外は、完璧だった。

普通に過ごすだけでいいのに。それが出来ないことが腹立たしかった

ある日、親に「レズじゃないよね?」と言われた時は、とっさに「違うよ」と言った、本当は「女の子が好きだし、男になりたいとも思ってる」と言いたかった。でも、言える日は絶対に来ない。

それは自分が中学生の頃、保護者会での出来事。自分は背が低いから、女友達の膝に座ったり、抱きついたり、抱きつかれたりしていた。それが原因で、「○○ちゃんってレズなの?」と親が聞かれ、その後、家で母が泣いていたことがある。

自分は自分が嫌になった。普通に過ごすだけでいい、ただそれだけなのに。それが出来ないことが腹立たしかった。なにもかもが嫌になった。死にたいとも思った。でも、変われると信じてた。異性を好きになれると。

でも、変わりたくて変わる。そう決めて変われるなら話が早い。自分を押し殺せばいいだけだから。でも、そううまくはいかない。だから、時間に任せ生きて行くことにした。せめて、ネットと自分だけには気持ちを隠さず、なりたいものになる。そう決めた。

偏見の多い世の中で発信することは、勇気がいるけど「意見」は大切

ネットでは、自分の本当の姿を褒めてくれる人も、好きになってくれる人もいる。そこが唯一本当の自分でいられる場所だ。

だけど、こうして小さな世界で生きていくだけでは、息苦しくなることもある。だから、一人でも多くの人に、こういう人がいるのだと伝えられるように、自分は自分自身を、個性的な考えを持つ人と捉えられるようにしている。

偏見の多い世の中で発信することは、勇気がいるけれど、そこで出た一人一人の意見は大切にしたい。批判には怯えてしまうこともあるが、その人の考えを覆したい。隠す場所は隠し、偽りの自分を作り生きていく。それが自分の見せ方である。