私の名前の一部である『陽』という漢字には、太陽のように明るく、あたたかい人間になってほしいという願いが込められていると母に教えてもらった。

“太陽のような人”ってどんな風だろう。笑顔が華やかで素敵な人、場の空気を自分の色に染めることができる魅力的な人。私の考える理想の“太陽”に、私はひとつも当てはまらない。

私はあまりにも「太陽のような人」の素質に欠けている

幼稚園に行くのが嫌で毎朝泣いていたし、小学生の頃、休み時間は図書室に入り浸っていた。ドッジボールが苦手で、みんなの前で発表することも好きじゃなかった。あまりにも“太陽のような人”の素質に欠けている。

けれど、親に付けてもらった名前というのは不思議なもので、私はどうにか名前に適う人間になりたいと、心の根っこの部分で思い続けていた。

そういう思いが私を前へ前へと押し進めたから、だんだんと“太陽”に近づくことが出来たのだと思う。いつも明るく笑顔でいられるようになったし、中学、高校では大所帯の部活動の長も務めた。大勢の部員を統率し、いくつもの行事をやり遂げた自分は、確かに思い描いていた理想に適っていたと思う。

でも、高校を卒業した今思うことは、「なりたい自分と、本当の自分は全く別物だ」ということ。本当は大勢で騒ぐ時間よりも、一人でいる時間のほうが好き。本当は何か大きなことを成し遂げるよりも、コツコツと積み重ねた努力が実になるのを見届けるほうが幸せで、人の前に立つ仕事よりも人を後ろから支える仕事のほうが楽しい。

「周りの人から見た自分」と「自分が思う自分」にギャップがあった

“本当は”という言葉が付くということは、少なからず自分を偽っているということで、その証拠に私は“周りの人から見た自分”と、“自分が思う自分”にギャップが生まれていくのを中学高校の6年間で強く感じていた。

「笑顔でいなくちゃ」「明るくいなくちゃ」そんな義務感がいつも心の淵にこびりついていたし、そうすればするほど「本当の自分は違うのに」と思う気持ちも大きくなっていく。そんな毎日が息苦しかった。

だから、これからは「これが自分だ」と胸を張って言える自分を見せていきたい。そのためにも、今まで自分に無理やり張り付けていたラベルははがして、本当の自分はどんな人間なのかもっと知っていきたい。今はそんな風に思っている。

なりたかった自分と本当の自分は「対極の場所」にいた

高校を卒業し、大学生になって約1年。つい最近、友人から貰ってとても嬉しかった言葉がある。「月みたいな人だね」と友人が私にかけてくれた時、目から鱗が落ちたような気持ちだった。

自分自身が明るく光を放つことはできないけれど、暗い夜を優しい明りで照らす月。誰かを支えたり、人知れずひっそりと努力を続けたり、自分はそういう人でありたいのだと改めて気付かされた。

そして、月を月たらしめているものは、紛れもなく太陽だ。昼間の太陽と、夜の月。なりたかった自分と本当の自分は対極の場所にいたことを知って、どこか吹っ切れたような気がした。私にはきっと、私にしかない魅力があると信じてる。名前負けなんて、言わせるもんか。