教員を辞めて転職して1年たった。
この1年は、教師時代の「けっこうなんでも知ってるね」から「なんでそんなこと知らないの?」に転落した1年だった。

教員時代、「知らなかった」「できない」であまり苦労しなかった

教員時代の趣味だったSNSも生徒のアカウントをパトロールし、テレビも雑誌も子供たちが好きな作品を見て研究していた。
なんとなく子供たちの間で流行っていることは知っていた。
授業に関しては、そりゃ先生ですもの。問題もさることながら、虎の巻の解答もあるし。なんなら解説だって持ってる。
これで知らない方がむしろまずいのではなかろうか。とも思っていた。
手渡された子供たちの名簿等で、なんとなく性分も分かっていた。
子供と話すのは好きだった。落ち込んだら実習準備室でうなだれることができた。
「生徒は忘れている可能性もあるから」「確認事項として」というその言葉の下に、職員会議や朝の朝礼で、確認事項が常に飛び交った。
プリントの1文字のミスは、生徒たちが見つけてくれることもあった。
そのため、教員をしていた時「知らなかった」「できない」で著しく苦労した経験は正直あまり体感になかった気がする。

「転職」で入ったのか、「新卒」で入ったのかというくらい悩んだ

教員を退職してからの社会人生活は、自分がいかに世間知らずか小突かれる毎日だった。
文字をミスすることが地味に辛かった。形式を揃えるのも非常に苦手だった。
というか、初見でこれは知らないし、気づかないし、「常識でわかるでしょ」がわからないというよりも不安なことの震えが止まらなかった。
書類系の形式や、上に線が一本あるだのないだの、自分だったら許容していたもの、「ごめんね」の一言でこれまで子供に言えたことが、こっちになると怒られてばかり。
手先の不器用さを「言い訳」「甘え」と怒られた日々が続いた。
同時に自分はかなりズボラだったことや甘かった部分もあると思い知らされた。
私、こんなに毎日怒られたり日常生活で困る教師生活送ってたっけ?
こんなに社会生活や仕事ができない人間だったっけ?と、頭を抱える毎日だった。
ほうれんそうってわかる?とか会社についてどうなのか説明して?と馬鹿にされたことも辛かった。
説明しても「わかってんのかわかってないのか、よくわからないな」と言われる一方で、会社に私は「転職」で入ったのか、「新卒」で入ったのかというくらい自分に対して思い悩んだ。
幸い、テレワークで頭を机に擦り付けて泣くことはできたが、先生が「世間知らず」「常識がない」を自らの身を以て体現してしまった気がした。
「真面目に働いてお金もらうって大変でしょ」とすごく嫌な言葉をかけられた。
これまで教員をやっていたことを真面目に働いてこなかったこととみなされていたみたいでとても悲しかったが、己がポンコツすぎて初めて契約書を作るのに3週間ほどかかったため、世間に対する教員の評価だったり、見方だったり、扱いだったりを同時に感じた。

卒業した生徒が戻って来た時、話を聞いてあげられるかと考えたら…

また、女性に対する物悲しさも同時に痛感した。
机綺麗にしなよと言われて、空白の部分に「女性なんだから」、だらしないよね「女性なのに」という嫌な透明の言葉も幾度か見た。
選択制で着なかったが、ウエストの締まったタイトスカートの事務職の制服。
お菓子を配ってくれた相手が誰なのか、と尋ねると「事務の方が配ってくれたから、知らない」と言って終わってしまった会話。
なんだそりゃ。と思ってしまった。絶対に嫌だと思ったことを覚えている。
そういえば。教師って、ジェンダー差分、あんまりない仕事だったんだな。と思い返された。
世の人々が、女性差別やセクハラについて激しく主張する姿や、友人が悩む事情が、今までテレビ越し、友達伝いのメッセージ越しでしか知り得なかったことを、同時に感じ取った瞬間だった。
先生として、教科で持っている分に対しては「結構いろいろ知ってる」と思っていた。
「困ったらよもぎセンセんとこに行くね」と言ってくれた生徒の顔を思い出す。
授業の後や、校内の辛いことは聞いてあげられるかもしれないけれど、卒業した後に、ふと生徒が戻って来た時に、話を聞いてあげられるか。
そう聞かれたら、多分先生だけをしていた私はロクな答えが出なかったと思う。
そう考えると、社会人において私は「無知な人間」という見られ方、見え方になっていることがわかった。
井の中の蛙、大海を知らず、されど空の高さを知る
と言うが、新卒から見事にカエル先生だった我が身は、縦も横も知らないことがまだ多いと言うことを悟った瞬間だった。

「知らない・できない」サイドとして学べる貴重な時間を大切に

正直まだ「知らないんだ」はカチンとくることもあるが事実ではある。
恐れ多くて、知っているけれど「わからないです」と電話の向こうで真顔で白旗を出さねばならないことに憤りを感じることも多い。
ただ、教師を辞めてしまったから今の自分があるわけだし、細かい部分を見るのが下手でも怖気つかず聞けて話せる。何かを調べたり、勉強することに抵抗はあまりないという、気づかなかった自分の生来の特技もいいところもちょっとわかってきた。
スキルはなくとも、そういうことを覚えているだけでもとりあえず既卒だとは言えると思う。
先生をやっていてよかったことも少し認識できるようになった。
やっていたことを馬鹿にされた際、脳内で
「うるせー40人くらい他所の親子からクレームつけられずプライド削がずやる気を上げながら1年やってみろや」
と、思える程度には自己肯定感が生まれてきた。
わかりやすい目の前の罵倒と怒鳴りが頻繁に起こる、プレッシャーのある環境で過労で体を壊し、辞めたときはもう1mmも教員だったことを忘れ去りたかった気持ちを、綺麗に消化というよりも昇華させることにも成功した。
本来「怒られる」ということは戒めもあるが、自分の成長も促すことも知れた。怒りと叱りは違うし、基本何かを指摘する場合は「見せしめ」や「怒ること」を目的にはしないでわかる理由をつけることも大切だ。それをふまえて、「学校だから」「会社だから」の枠に囚われず、どこかのタイミングで何かご縁があれば別の学校に戻ってもいいし、夢が見つかれば転職をまた何かしてもいいかもという程度の元気も出てきた。
性分としては非常に適性の低い社会人生活2年目、「なんにもしらない知らない人」ではあるが、「知らない・できない」サイドとして学べる貴重な時間を大切にしたい。