とある日、わたしは、仕事で大きなトラブルを起こしてしまい、自分のミスであるのにストレスで倒れ、会社を休職させていただくことになった。
どうしようもない無責任女だ。尻拭いはすべて上司がしてくれているようだ。

自分の無能さと無責任さに吐き気がし、一時食べ物を一切受け付けなくなったし、家から出るのが恐怖となり、会社近辺はおろかその辺のコンビニにも行けない、家にいても何も手につかない状態だった。

憂鬱な日々を過ごしていた。母の言葉で、休職中の私はライブに行くことにした

十数日が経ち、上司が事の収拾をなんとかつけてくれたと聞いた。復職はまだできていないし、仕事のことを考えると鬱々として憂鬱な日々を送っていたが、仕事抜きで日常生活を送れるレベルにはメンタルと体力は回復していた。まったく自分に都合の良い体だ。

そんななかわたしは、1枚のチケットを所持していた。
推しのファンクラブライブのチケットだ。
休職前に手配していたチケットで、すでに4万円ほど支払っている。返金は不可だ。

行くのか?この大変な状況の中、きっと上司はわたしの尻拭いのため身を粉にして働いてくれている。そんな中私だけ、チャラチャラと推しに会いに行っていいのか?……どう考えても行くべきではない。

「どうせあなた今、パソコンも携帯も人事に回収されていて、家に居ても何もできないでしょう。4万円もったいないから行ってきなさいな。行って、元気になって会社に恩返ししなさい」

母の言葉だ。
わたしは、行かなければきっと、数ヶ月後元気になった時に「あの時行っておけばなぁ、惜しいことをしたなぁ」と、くよくよ悔やむような女なのだ。
母はわたしの性格の良くないところを全てお見通しだ。

わたしは推しに会いに行くことにした。自分勝手な、自分の意思として。

推しの輝きで憂鬱な気分を忘れられた。推しの努力と本気をわたしは知っている

推しのライブは最高だった。
推しが芸能活動で頭角を現し始めたのは6年ほど前なのだが、私が推しを知ったのは2年ほど前で、前半の4年をわたしは映像でしか観たことがなかった。
今回はファンクラブライブなので、今ではあまり披露されない曲を歌い、ダンスを踊ってくれ、わたしがずっと生で観たいと思っていたものが詰まった夢の舞台だった。
そして会場がいつもより随分小さかったこともあり、推しはわたしに向かって幾度も微笑んでくれた(気がした)し、ウインクももらった(気がした)。

推しの微笑みの力はすごい。
推しは本当に可愛らしいお顔立ちの方で、微笑むとより一層その可愛らしさが引き立つ。
目線があった状態で微笑まれると、体感としては一度、心臓が止まる。何度も心臓が止まり、動き出しを繰り返したおかげで、ライブの後半わたしは本気で、仕事の不安を、憂鬱な気分を、忘れていた。

推しの輝きは、推しが生まれながらにして特別な人物だからあるわけではない。
今の地位に上がるまで推しが数々の努力をしてきたこと、今も努力を続けていること、夢や目標を持ってさらなる上を目指して本気で取り組んでいることを、ほんの少しだがわたしは知っている。
ライブで推しが歌ってくれた昔の曲は、リリース当時の音源よりも、ずっと上手くなっていたのだ。

推しは、美しいだけでない。
清く正しく美しい、心からちゃんとした人間なんだ。

大人として社会人として最低限のことを日々積み重ねていきたい

今のわたしは、推しに微笑みかけてもらえる権利のある人間ではない。
仕事に真面目に取り組んでいるつもりだったけど、きっと心から細心の注意を払って取り組んでいなかったから、ミスをした。自分のミスに落ち込んで、休職などという甘えた選択をした。

わたしは、弱くてずるい自分勝手最低女だ。推しのようにはなれない。
でもせめて、推しに会いに行ったとき恥ずかしくないような、大人として社会人として最低限のことを日々積み重ねていきたい。

次の月曜日、人事に電話をかけてみる。
復職するか、転職するかわからないけど、逃げずにまずは話し合おう。

……と、意識が地の底からわずかに浮上した話を偉そうに書いたが、身も蓋もないことを言えば、また推しに会うためにはお金を稼がなければならない。そのためにもわたしは絶対にちゃんと働く。
わたしは今はまだ休職を抜け出せていない自分勝手女のままだから、不純な同機の方が、嘘じゃないと自分を信じられる。