十二年前、カーテン一枚を隔てた隣のベッドにいた、名前も知らないあなたへ。
あなたのことは、名前も、年齢も、どこの誰なのかも全く分からない。けれど、私はあなたの事が忘れられないのです。
あの日私は救命病棟で、命を取り留めてから初めての目覚めを、あなたの声で迎えました。
「なんで救急車呼んだん!!!!????」
あなたの声は、たったカーテン一枚で隔たれた場所にいる私の耳にはよく聞こえました。
朝なのか、夜なのか、いま一体どこにいるのかもはっきりと分からないけれど、あなたの怒鳴り声の隣の、女性の、啜り泣くような音もよく聞こえました。
即死並の事故の中、走馬灯代わりに思い出したのは数学のテストだった
十二年前、当時十六歳の私は、高校の帰り道に大型バイクで自転車ごと跳ねられ、頸椎骨折、頸髄損傷、頭部裂傷に全身打撲と、のちに担当医から「あと一ミリ頸髄への損傷が深ければ即死でした」と言われたほどの大怪我を負い、それでも尚、生きていました。
事故後の記憶は、断片的にしかありません。身体中が痛いけれど、もがくことも出来ず、耳元から聞こえる「耳が切れてるから、縫ってるよ」という言葉に自分の人生が大きく変わってしまった事を悟りました。
頸髄損傷の為、麻酔なんてあってないようなもので、折れた首と頭蓋骨を繋げるためのドリルネジを骨に打つため、まるで工事現場のような大きな音が響く手術台の上で、こんなに痛いなら死んだ方がマシだと、生きるのをやめようと思ったこともあります。
死んだ方がマシだと死に抗うのをやめると、さっきまであんなに苦しんでいたのが嘘かのように痛みが引いていくのです。
「もう痛くない」
ほっとしたのも束の間、走馬灯の代わりに私が思い出したのは、明後日学校で受けるはずだった数学のテストのことでした。
数学は一番嫌いな科目。テスト勉強を先延ばしにして、まだ取り掛かっていませんでした。提出物もあったのにやりかけたままで、実家の勉強机の上に置きっぱなしでした。
どうしてやらなかったんだろう。こんなことになるなら、もっと早くに、計画的に取り組めば良かった。もう、できないかもしれない。二度と、できないかもしれない。どうして、どうして、どうして…
死の間際に私の頭に浮かんだものは、家族の顔でも、楽しかった思い出でもなく、苦手な事から逃げていた後悔だったのです。
あなたの大きな声で目覚めた私は、生の喜びを感じ、神様に感謝した
「なんで救急車呼んだん!!!!????」
あなたのその大きな声で目覚めた私は、生きていること、そしてすべての後悔をやり直せるチャンスを得たことを理解し、これまで本当の意味では信じてこなかった「神様」という存在に、心の底から感謝しました。
だからこそ私は、取り乱し、周りを責め立てるようにあなたが吐きつけたあの言葉と、その裏に隠れたあなたの苦しみを想像し、今でもあなたを忘れることができないのです。
あの日、隣り合った二つのベッドには、確かに、私とあなたの、命に対する喜びと絶望の二つが同時に存在していました。
私は、あなたの名前も、年齢も、どこの誰なのかも、そしてあなたに何があったのかも、何も知りません。
けれどただ一つ、あの日多くの人たちの手によって救われた私とあなたの命は、自分一人だけのものではなくなったということ、それだけは分かります。
目覚めたとき、私は「神様」という存在に心の底から感謝をしました。
けれど長い入院生活や、それ以降少し変わってしまった人生を生きる中で、本当に感謝すべきものは、私を生かし続けてくれる、私の人生に関わる全ての事象である、ということに気付いたのです。
あなたに起こった「何か」がなければ、この時を生きるあなたはいない
もちろん、全てを前向きに捉えて生きることが、時に苦しいこともあります。
私は事故がきっかけで、夢を失いました。「どうして自分が」と嘆いたことや、事故に遭わない世界線で続く人生を空想したことは、一度や二度ではありません。
しかし、あの時感じた生きている喜び、そしてその後に出会った人、経験したことによって象られた今のこの人生を、私はとても愛おしく、尊く思っているのです。
あなたに起こった「何か」もきっと、それ以降のあなたを生かし続けてくれる。あなたに起こった「何か」がなければ、今この時を生きるあなたはいない。少なくとも、あなたの命が「生きたい」と願ったから、あの日あなたは生きていたのです。
あれから十二年。
私が今日までもがき続けながらも、生き続けてきたように、あなたが今日も健やかに、幸せに生きていてくれることを、私は心の底から願っています。