「あなたに私の何がわかるの?」心の中の私が、何度も何度も呟いてきたセリフだ。
自慢じゃないが、私は心を開くのに相当時間を要するタイプの人間である。出会って間もないあなたに、私のことなど分かるはずもない。
みんなが勝手に私を創り上げるから、私はそのまま自分の役を演じた
みんな勝手に“私”を想像し、その想像によって“私”が創造される。その人がつくりあげた“私”とちょっとでも違うことをしたら「○○ちゃんっぽくないね」と言われることに、今までずっと納得がいかなかった。
人見知りっていうのもあり、話しかけられてもそっけない態度をとってしまう。だから、昔から初対面の人にはだいたいクールな子っていう印象を持たれてきた。一度クールって印象がつくと、そこから崩していくのは結構難しくて……。ちょっとふざけてみても、イメージと違うらしく、「なんか意外。○○ちゃんっぽくないね」って、自分が思ってるような反応がもらえなかった。
「いや、ぽくないって何?これが私なんですけど」と心の中で反論しつつ、私に求められているのはクールな子としての“私”なんだって気づいて、本当の自分を出さないように過ごしてきた。
だから、ある程度仲良くなった友達からもずっと「クールだね」って言われてきた。「全然そんなことないのに」って心では呟きながらも、みんなが思うイメージのままクールを演じて過ごしてきた。
でも本当は、「うるさい」って言われるくらい喋るのが好きで、馬鹿やって騒ぐのが好きで、とにかく面白いことをやって人を笑わせるのが大好き。唯一ありのままの私で過ごせたのは、大学時代の4年間だった。
大学入学式で事件が起こり、人を笑わせることができた達成感があった
大学の入学式、私はいつも通り人見知りを爆発させていた。地元の大学に進学したものの、親しい友人は1人もいなかった。隣に座った同級生は、もちろん初対面。式が始まるまで、少し時間があったが一言も話さなかった。
また本当の自分を出せないまま過ごす日々が始まるのかと思っていたが、ここでちょっとした事件が起きた。式の途中、学長のお話が始まる前のシーンとした場面で「ぐぅー」という音が鳴り響いた。
これまでいろんな場面でクールを演じてきた私だったが、さすがに対応できなかった。照れ笑いしながら「ごめん。お腹すいちゃってー」と周りに聞こえるギリギリの声量で、正直に白状した。式の最中は誰も反応してくれなくて、それはそれは地獄の時間だった。
でも、式が終わった瞬間、周りのみんなが話しかけてくれた。「笑いこらえるのに必死だった」って言われた私は、なぜかとても嬉しかった。お腹の音が鳴って、恥ずかしさはほとんどなくて、人を笑わせることができたという達成感に溢れていた。
こんな事件から始まった大学生活は、誰かに“私”を創造されることはなかった。私は“私”を演じることをやめ、ありのままの私で過ごした。
これから「私っぽい」は誰の創造でもなく、自分で決める!
大学を卒業して2年が経った今、私はまた毎日クールを演じながら過ごしている。職場には同世代の人はいなくて、お姉さま方に囲まれながら働く毎日。
勤務初日、私はまたまた人見知りを爆発させた。お姉さま方の圧力に負け、話しかけられても上手く返せなかった結果、クールで物静かな子ってイメージがついた。
でも、昔と違う。今はきっと、好んでクールを演じているんだと思う。この場所では想像のままの“私”でいた方が、私っぽくいられるって気づいたから。「私っぽいは、私が決める」