平成7年1月中旬、私が産声を上げる予定の日付だった。

引きこもりだった赤子の私は、予定日を過ぎた5日後の夜、まだ出たくないとワガママを言ったのだろう。あの手この手で取り上げられ、ようやく産声を上げる。

私が予定通り産まれていたら、父は今ここにいないかもしれない…

何でも、陣痛が起きてから産まれるまでの時間がかかった上に、頭が見えてから出てくるまでもかなりの時間がかかったらしい。トイレで詰まった時に使うラバーカップみたいなもので引っ張られたくらいだとか。その話を聞いて以降、ホームセンターでそれを見かける度に「私はあれで引っ張られたのか」と思うようになったから、あまり聞きたくはない事実かなと思う。

ところで、平成7年の1月には何があったかご存知だろうか。そう、阪神淡路大震災である。私の父は、プレハブとかの仮設住宅を建てに行く仕事をしている。それは今でも変わらず。50を過ぎたのに、何ともすごい話だと思う。私自身も力には自信があるけれど、父には未だに両手を使っても腕相撲で勝てた試しがない。

父は16日の日に兵庫へ出張へ行く予定だったらしい。本当ならば、それよりも前の10日頃から1か月ほど長期出張する予定だったのだが、私が産まれる予定日と重なってしまったため、産まれてから向かうことになっていたらしい。両親にとって私は初めての子ども。会社も快く許してくれたんだとか。

ただ、冒頭あたりにも述べたように、私は中々強情で産まれたがらなかったために予定日がずれ、父の出張の予定もずれた。

そんな中、大震災が起きてしまった。母は病室のテレビで見た時、予定通り産まれていたら父はもしかしたら……と思ったらしい。それは父も、祖父母も同じように思っていたことで、あの時期になるとよく言われた。「予定日が遅れたから、父さんは今ここにいるのかもしれない」と。

父は見た目に似合わず心配性。私が家に帰っていないとLINEが来る

家族にいっぱい愛されて育った私は、何かと体調を崩すことも多かった。熱性けいれん、熱せん妄、肺炎、インフルエンザの幻覚症状、上げていけばキリがないのだが、よく家族をハラハラさせたと思う。

下の子達は健康だったから尚更。体調を崩す度に、父は仕事帰りにスーパーへ寄って缶詰やゼリー、アイスクリームをたくさん買ってくれた。ちなみに、大人になった今でも体調を崩すと大量に買ってきてくれる。誤解がないように付け加えておくけれど、私だけじゃなくて下の子達にも等しく同じことをする。何なら、病人以外の分もきちんと買ってきてくれる、そういう父だった。

親不知を全部抜くために全身麻酔で手術した時、麻酔の影響で口から血を流す20歳を超えた私を見て、父は泣いたらしい。これは母からの情報。その時も食べたいと言っていたプリンとアイスを買ってくれた。

父は見た目に似合わず、何かと心配性だった。ちなみにこの父親、小学歳の頃からヤンチャばかりして、学校から呼び出されることが多かったらしい。高校では担任の家に爆竹を投げたんだとか。本当に勘弁して欲しい。その結果、娘は真面目に育ちました。父みたいなヤンチャなことは絶対にせず、学校では大変素晴らしい優等生だった。ただの外面ではあるが、これは世間に通ずる処世術である。

専門学校を出て働くことになり、これを機に実家を離れて一人暮らしをすると言った時、環境が変わると体調を崩しやすいからと、実家から近いところにしろと言ったのは父だった。徒歩1分の場所を選んだ時の安心した表情は忘れない。

今は、実家から徒歩30秒の場所に住んでいる。近くなった上に、サンルームから私のアパートが見えるらしく、22時近くに明かりが点いてないと心配でLINEを送ってくるくらいだ。安心して欲しい、部屋で寝てるか、遊びに出かけてるかのどっちかだから。毎週日曜日は余程のことがない限り、実家でご飯を食べている。

「お父さん大好き」と言わなくなってしまったけど、本当は今も大好き

一人暮らしを始めた頃、特に行く用事もないからと、一週間実家に帰らなかっただけで「今日は○○です」と母から好物で釣るLINEが来るようになった。ちなみに私が好きなものはたくさんあるが、父が作るふわふわ卵のオムライスが一番好きだった。母が最初に好物で釣ったものは「今日はととが作るオムライスです」で、私はあっさり釣られてしまった。自分では父の作るオムライスが作れないから。実家に帰った時、父があまりにも嬉しそうにオムライスを作り、嬉しそうに私を構い倒すものだから、週に一度は帰ろうと思った。

体調を崩した時に何も言わなかったら、ものすごく怒られた。多分、父の中では熱性けいれんを起こしたことや、熱せん妄で見るもの全てが怖いと泣き叫んだ私の幼い姿が強く残っているのだろう。一人で何かあったらどうするんだ、と。

今はこんなご時世だから連絡だけにしているけれど、体調を崩した時は実家で療養するようになった。連絡だけなら別に言わなくても良いんじゃないかと思うけれど、連絡しないで後からバレて怒られるのは勘弁。ちなみに、最近は自宅までアイスやゼリーを届けに来てくれる。何のための一人暮らしか全く分からないけれど、父が満足してるならそれで良いかななんて思ってしまう。

反抗期らしい反抗期は私になかったけど、大人になった今、なんだか恥ずかしくて「お父さん無理」なんて言葉を平気で言う。「本当は大好きなくせに~」と揶揄ってくるけど、ちょっとだけ寂しそうにしていることも知っている。

5年生までは「お父さんのことを大好き」と言い続けていた私。いつからか全く言わなくなってしまったけれど、本当は今だってずっと大好きだ。健康とは言い難いけれど、元気に今を過ごしているのは、前向きに生きることが出来るのは、両親がたくさん愛情をかけてくれたからだと思う。感謝しかない。

恥ずかしくて言えなかったけれど、父の日か誕生日にでも手紙を書いて伝えようと思う。父が娘を愛するように、娘もまた父を愛しているのだと。