「スカートは履かないの?」
「もっと明るい色の服を着たら?」
「髪を伸ばしてみたら?」
「パーマをかけてみたら?」
「結婚はいつするの?」
「いつ子供を産むの?」
昔から母に言われ続けている言葉だ。
三姉妹の長女である私は、妹たちの見本になろう、良い子にしようと母の言うことに従い頑張った。
自分で言うのもなんだが、反抗期という反抗期もなく、三姉妹の中でも比較的静かに成長した。
妹たちにあった反抗期。私にも意思があるけど伝えられなかった…
妹たちには明確な反抗期があった。
妹たちは自分の意見を貫く強い意志があった。
だからこそ妹たちの反抗期は凄まじかった。
私が羨ましいとさえ感じたくらいに。
私にだって意志はある。
私はパンツスタイルが好きだし、
黒い服が好きだ。
髪は短い方が楽で好きだし、
結婚願望はほぼない。
結婚願望がほぼないのだから、子供を産む事はさらに考えたことがない。
母に分かってもらおうと何度か伝えたが、例の言葉を投げられる。
それは時や場所を選ばず、誰がいるかも関係なく投げられる。
良い子ちゃんをしてきた私には反抗の仕方がよく分からず、地獄の無限ループに陥るのだった。
生き方に憧れた男性の真似をすると父は「似あう」と褒めてくれたが…
そんなあるとき、あるロックバンドの男性ボーカルの生き方が素敵で、掲載されている雑誌を読み漁り、髪型や服装を真似たりしていた。
父が“似合うな!”と褒めてくれ、男性ボーカルの生き方を通して自分の生き方も認められたと感じ嬉しくなった。
褒められていきいきした私に母は言ったのだ。
“娘なのに息子みたい。どうしてそうなるの?女の子らしく出来ないの?”と。
“女の子らしい”とは何なのだろう。
“男の子らしい”とは何なのだろう。
この御時世にそんな境界線はまだ存在するのだろうか?
そして、気付かないうちに蓄積されたモヤモヤはじわじわと私を蝕んでいった。
そんな地獄の無限ループから脱出するべく、父に相談し、数年前に実家を出た。
母は実家から出さないよう誘導するに違いないと思い、一切母には相談しなかった。
これ以上、母を嫌いたくなかったのだ。
そして、きっと距離が出来れば上手く母と向き合えるようになると思ったのだ。
距離を空けても変わらなかった母。多様化が進む現代で悟ったこと
でも、私の考えは甘かった。
距離なんかあってもなくても母は変わらなかった。
今でも会うと当たり前のように地獄の無限ループは繰り返されるのだ。
今となっては受け流すことが出来るようになったし、母を冷静に分析出来るようになった。
多分、母には自覚がないのだ。
同じ言葉を投げていることにも。
自分の思い描くレールに乗せようとしていることにも。
その考えが時代錯誤なのにも。
押しつけられる考えによって、娘が蓄積されるモヤモヤに蝕まれていくということにも。
現代社会では多様化が進んでいる。
そして多様化はありとあらゆるものを変化させた。
人々の考え方や働き方、暮らし方、時間の使い方…。
だからこそ、人生の在り方は人それぞれであり、人によって誘導されたり強制されるものではないと私は思う。
私は悟っている。
母は変わらない、と。
何度言っても私の意志は伝わらない、と。
そして、私は永遠に母と相容れない、と。
私の反抗期はまだまだこれからなのだ。