私は最近よく考える。“本当の私”って、なんだろうと。

いつからこんな弱くなったのかわからないが、悲しくないのに涙が出るようになってしまった。つらいのに「つらい」と、誰かに頼れなくなってしまった。

私は人の顔色を伺いながら生きて、「友達ごっこ」がうまくなった

うわべだけの友達はいるけど、心から信頼できる友達は1人もいない。いつから私は間違えてしまったんだろう。生まれて来なければよかったのかな。今日もそんなことばかり考えて、1日が終わろうとしている。

人に合わせて作り笑いをすることが上手になってく自分が1番、この世で許せなくて嫌いなんだ。私は小さい頃から、どちらかというと人と関わるのが苦手で、幼稚園や小学校といじめられるのが当たり前になっていて、朝になるのが苦痛で仕方なかった。行きたくないという気持ちとは裏腹に、外は青空なのが余計むかつく日々が過ぎた。

今考えてみれば、不登校にならなかった自分が不思議でしかたがない。そんな経験をしている為かわからないが、いつのまにか人の顔色を伺いながら生きるっていう癖がついてしまった。いわゆる“友達ごっこ”。独りぼっちになるのが怖くて、わかりもしない話題をわかったように話をして、毎日心が窮屈で。でも、そうでもしなければ、仲間外れになってしまうから。

自分をさらけ出せばいいのに、「素の自分」をさらけ出すのが怖い

高校卒業し、専門学校に進学すると同時に、今までの自分とはさよならしたかったけど、そうそう人は変われないことを思い知った。みんなが友達を作ってく中で、私はまた1人でその日はお昼ご飯を食べた。次の日は、優しい女の子が話しかけてくれて、友達が1人できて嬉しかったが私の心はいつも晴れない。

その理由は、自分でもわかっていた。自分をさらけ出して話をすればいい話なのに、何故か素の自分をさらけ出すのが怖い。そんな自分が1番嫌い。そんな生活を続けている内に、心が苦しくなって鬱になった。

そして、心療内科に通う内に明らかになったことがある。私が人間関係で苦しんでた理由は、ASDといういわゆる発達障害ってことを知った。その瞬間、今までの苦しさから解放された気がした。

救われたのと同時に、鬱になってから余計、自分のことがわからなくなった。好きだった映画や音楽を見たり聞いたりしても、なんにも楽しくなんかなくて。友達からのLINEもInstagramも全部やめたくなって。全てシャットダウンしたかった。

鬱になる前はSNSを積極的に使っていて、フォロワーは大事って思っていた。でも、今となってみればフォロワーなんてただの数字でしかないし、孤独なことに変わりないと。

私は私なりに、「ありのまま」で楽しめることを見つけていきたい

それから毎日考え続けていて、自分は何のために生まれたのだろうと。一時期は、本当に死にたいと思う日々もあったけれど、みんなそれぞれ悩み持ってるんだから、こんなところで人生終わらせられないって思った。

私は私なりに、ありのままで楽しめることを見つけたい。人から「変わっている」と言われたとしても、何が普通で何が変わっているのかも、結局はその人の考え次第なわけだから、考えてもキリがないって少しは割り切れるようになってきた気がする。

“みんな違ってみんないい”っていう名言があるけど、その言葉のように認め合える世の中に、これからなっていってほしいなと願って今日も眠りにつく。明日は、今日よりもいい日になりますようにと祈りながら。おやすみなさい。