一貫した「自分」を持っている人がとても羨ましかった。適度な主張ができて、適度な見せ方を心得ている人は強い。
きっと誰しもが、多かれ少なかれ人前では装うだろう。
良いとは思わないものを取り繕って「良いね」と言ってみたり、仲間の1人が「あの子嫌いなんだよね」と言い出したら、それまで思ってもいなかったのに寄ってたかって「私も嫌い」と同調しだしたり。
タイプや傾向、顔色を伺って、嫌われないようにして生きてきた
そんな日々に疲れ果ててしまった。
「それなら明日からやめてみたらいいじゃない!」
頭の中のポジティブな自分がそう叫んだ。
現実はそんなに簡単じゃないから困ってしまう。
長年人の意見に流されてきた自分のことを堰き止めるのには時間がかかる。
一緒にいる人のタイプや傾向、顔色を伺って、嫌われないようにして生きてきた。
心に秘めてる思いは割と熱いものだと自負しているけど、目の前の人に嫌われるならそんな想いさえも口先で軽くへし折った。
例えば学生時代、友人と流れで政治の話になった時には、心では「そうは思わないな」と思っていても相手が「○○は××だからダメだよね」と言えば「わかるわかる~(笑)」と乗っかったり。
かと言って「そんなわけないでしょ」などと熱くなろうもんなら、場の空気を読めていないことになるので、軽く「う~ん…」とかなんとか言って有耶無耶にしてやり過ごしたら良かったのかもしれない。
自分の状況を表した歌詞。同年代の女性が歌う事にも意味を感じた
ただ、自分に嘘をつくということは同時に自分を傷付けることになるかも知れないと、はたと気付いた。ハリボテの私はある曲を聴き、頭を銃で撃ち抜かれたかのように、衝撃をくらったのを今でもしっかり覚えている。
それは3年ほど前の事だ。
大好きなUKロックを聴こうとYouTubeを開いた。おすすめに表示された音楽の中でひとつ、異彩を放ったサムネイルがあった。
少女が机に突っ伏している様を下から捉えたものだった。どう見てもUKロックではない。
欅坂46の「エキセントリック」という曲らしい。
「あ~、アイドル?最近欅坂って流行ってるらしいな」
そう思ったのも束の間、いつのまにか人差し指でタップしていた。
曲調が好きでスルリと受け入れられたが、歌詞がまさに自分の状況を表しているかのようで鳥肌が立った。
本人の知らない自分がつくられること、風向きによっていろんな方向へ変化するといった言葉があり、
そこから
「エキセントリックでも変わり者でも良い」「はみ出してもいい」というニュアンスで展開されていく。
それを同年代の若い女性が歌っている事にも意味を感じた。
欅坂の他の曲も共感するものばかりで、頻繁に聴くようになった。
自分に嘘をつかずに、普通に囚われずに生きていきたい
正直、最初「アイドル?」と舐めた目で見てしまったのが恥ずかしいくらいだ。
同時に、現代には同じような悩みを抱えた人が沢山いるのかもしれないと気付き、孤独感が拭われた。
自分に嘘をつかずに、普通に囚われずに生きていきたいと曲を聞くたびに思った。
風見鶏みたいにコロコロと意見が変わっていた私は、今も完全なエキセントリックにはなれてない。多分プチエキセントリックくらい。
でも自分を押し殺さないという最大の難所は突破したように思える。
私の22歳という年齢は大体の人が就職をする頃だろう。対して私はたまに文章を書きながら人と酒を飲み、音楽ばかり聴き、放蕩している。
生活だけを見れば昭和初期の無頼作家ともいえよう。
「人と違った人生の歩み方」をしている点ではある意味エキセントリックとも言えるのかもしれない。
エキセントリックな人が増えたら色彩豊かな素晴らしい世界になると思った。普通なんてごめんだ。
というわけで、周りの顔色ばかり伺わず少しでもいいから自分を表現していこう。