「自分とは○○」に続く言葉を語ることのできる人々は、どれくらいいるのだろうか。優しい、明るい、そんなありきたりな言葉で表現していいのだろうか。
一人一人違う中、第一印象だけで「本当の自分」を表現できるのか?
一人一人考え方も好きなファッションも、何もかも違う中で、そうやって一つの形容詞で、片付けることなんてできない。「第一印象で最も重要視されるのは、外見である」とある心理学者が証明していたけれど、果たしてその第一印象で本当の自分を表現できているのか。
仕事中の自分は、お洒落なんてできやしない。明るい色のワンピースを着たくても、どこか控えめな色のオフィスカジュアルな服を着て、好きな洋服を着られない。メイクだって自分の好きな色を使おうではなく、派手すぎない無難な色を選んでしまいがち。
そんな自分が、相手の第一印象。私をどんな人物かを決める大きな基準となっていると考えると、それは本当に正しいと言えるのだろうか。
相手に自己紹介をする時、「私はこんな人間です」と簡潔に伝えなければならな時、どう表現するのがベストなのか分からなくなる。子どもの頃、話すだけで友達になれていたのに。大人になると、あの頃のように友達にはなれない。
自分の中にはいろいろな自分がいるけど、どの自分にも正直であること
自己紹介をして、自分はこんな人間なんだと示すことがスタートライン。なのに自分で自分が分からなくなる。友達の前、家族の前、上司の前、知らない人の前、日によっても違う自分。どの自分が本当の自分なのか分からなくなる。
どの自分も、きっと自分自身であることは承知している。人は皆自分のように、沢山の表情を持っているのだろうか。それとも、それは自分だけなのだろうか。
そんなの自分自身にしか理解できない。ただ、これだけは心がけていることがある。自分に嘘をついて苦しまない、ありのままで生きること。たとえ、着たくない服を着る日があったとしても、自分の好きなものを食べる、自分の好きなアイテムを持つ。どこかでバランスをとって自分を保っている。
自分の中にはいろいろな自分自身がいるけれど、どの自分にも正直であること。人によって、自分が客観的に見られるキャラクターは違うと捉えられるかもしれない。けれど、正直に生きることで、自分自身を自分が認めてあげることで、自分の存在する意味が生まれている。
「他人」を気にしながらの人生を送るのも、間違った生き方ではない
自分が好きな洋服を着る。自分が好きな音楽を聴く。自分が思うままに行動する。他人にどう思われるか、どこかで人は考えて行動してしまう生き物。とくに日本人は、そんな生き物。
「おねえちゃんなんだからしっかりしなさい」「身長が低いから妹キャラっぽい」なんて本当はそんなことないのに、勝手に決めつける人もいる。
「周りの人を気にするな」そんな言葉をよく耳にする。自分を表現することが苦手な人もいる。無理なものは無理な人もいるのだ。他人を無視するなとはいわない。他人を気にしながらの人生を送るのも間違った生き方ではない。
むしろ社会って、他人の目を気にしないと生きていけない。その中でも、自分のできるかぎりの範囲内で、自分を楽しむこと。それが私にとっての自分を魅せること。