騒がしい電車の中で、向かいに固まって立っている女子高校生の集団の声が聞こえた。
「ねえ、あれって量産型?っていうんでしょ?」
思わず俯いた私の視界に、ぴかぴかのエナメルの厚底靴が見えた。歩きやすくて、でもかわいいお気に入りの靴。
私はいまイヤホンをしているけど、聞こえているよ。顔を上げてその子達を一瞥し、窓に映る自分を見る。
今日のわたし、こんなにかわいいのに。

なんとなく蔑まれている。悪意のある言葉は、向けられるとわかる

私はかわいいものが大好きだ。フリル、レース、リボン、パステルカラーなどなど。だから着る服も大抵ミニスカート、フリルやリボンがいっぱいついた服。
大好きな服を着ている時の自分はとってもかわいいと思うし、自分のことを好きになれる。でも、私の服装を見てそうは思わない人が多いらしい。
よく言われるのはリストカットしてそう、メンヘラそう。語尾に(笑)がつくような口調で言われることが多い。なんとなく蔑まれている。悪意のある言葉は、向けられるとわかる。
なんでそういう感情を向けられるんだろうとずっと考えていたけれど、思えば私が小さい時から、「かわいいを求めるのはダサい」という空気は蔓延っていた。

図書館の絵本で悟った。みんな口に出さないけど牽制し合っている

入り浸っていた小学校の図書館で読んだ絵本。クラス中の男の子から好かれているが、女の子からは嫌われている女の子の話。その子はとにかく男の子にモテる。なぜか。「かわいこぶっている」から。
毎日ジョギングをし、鏡に向かって笑顔の練習。その本を読んで私は悟った。
みんな口に出さないけど牽制し合っている。自分よりもかわいい子、モテる子が現れないように、かわいこぶることや容姿にこだわることをダサい、痛いという空気を作り出す。
みんな本当はかわいいが羨ましいのだ。みんなだってきっと自分なりの「かわいい」を求めているはずなのに、それを体現することを許されない社会に生きている。
これは呪いだ。みんなと同じでいなければいけない、目立たないことを要求される。さらに年齢や容姿で着ていい服が、好きと言っていいものが決められる。
量産型、地雷系とカテゴライズされることもそうだ。同じような恰好をしている女の子達と蔑むことで、自分達とは違うことをしているおかしいものとしているのだろう。小さい頃に私にかかった呪いは今も続いている。

いつまで「かわいい」を許される? そう考えて悲しくなる日も

本当は怖い。自分の好きな自分で居ることを人に否定されたり、バカにされるのは怖い。人にどう見られるか、どう思われるかを考えない日はない。
実際に今まで私のかわいいを求めるスタンスを批判したり、ひどい言葉でねじ伏せてくる人は存在した。人の視線が怖くて前を向いて歩けない日もある。
私はいつまでこの服を着られるんだろう、いつまでじぶんのかわいいを許されるんだろうと考えて悲しくなる日もたくさんある。
ただのものさしなはずの骨格タイプや顔タイプに永遠に振り回される。私のかわいいは私のものなのに。悲しい。それでも、傷ついても前を向けない日も私は好きな服を着る。これが私のかわいいだから。私の見たい見せたい私だから。自分が一番認めたいし許したい。
私は明日も首元のリボンを結ぶ。ふわっときれいに。呪いを解くのは私。信じて明日もミニスカートを履くのだ。