あの子がいたから、今もこうして生きている。

中学生の時に出会ったあの子との付き合いはもう15年にもなる。
はじめて見たときはそんなに惹かれなかった。
「なんか似てるね」
そんな風に家族に言われてたら、私と似てる…?と疑問を持つようになり、気になる存在に昇格したあの子。

ある日町であの子を見かけた。かわいいとは思えない、でも愛嬌があってなんか、こう……目で追ってしまうようになった。
偶然、母親の彼に連れられて行ったゲームセンター、そこで運命的な出会いを果たす。
そう、あの子がいたのだ。
あの子はガラス張りの部屋で転がっていた。その時、私はこの子がほしいとなぜか強く思った。同じ顔の子が居るのにもかかわらず、少し遠くの端で寝転ぶあの子。…あの子が欲しい。

ぐっちゃんと名付けたぬいぐるみは家族の一員で、いつも一緒だった

「おめでとうございま~す!」
甲高い店員さんの声と共に私ははじめてあの子、に触れた。
そう、あの子とは15cmほどのぬいぐるみである。

あの子、ぐっちゃんはその後家族の一員となった。
私は元から精神的に不安定な面も多く、学校に行けない比嘉(日が)あったりもして毎日退屈だった。

偶然授業に出た日、家庭科の授業。そこで裁縫のやり方を学んだ。私はすぐに思った、これでぐっちゃんの服を作ろう、と。
家に帰りすぐに作ろうとしたが、布がない。気に入っていた服を切り刻んだ。学校のキットの布とは違って縫いづらかった。うまくできない。悔しい。そう思いまた学校に行った。
この行動によって私は学校に通えるようになった。
そう、ぐっちゃんのおかげで。

その後私は毎日ぐっちゃんと一緒に過ごすようになった。出かけるときも、寝るときも、部屋を移動するときも一緒。

家族とうまく話せない、甘えたいけど恥ずかしくて言えないとき、ぐっちゃんが代弁してくれた、ぐっちゃんが話している体で家族との会話が豊かになった。

「彼女を守ってくれてありがとう」彼はぐっちゃんに言った

そんな生活は学生でなくなって、初めての彼氏ができても、なにも変わらず。私とぐっちゃんはずっと一緒。

25歳になって流石に会社にまではぐっちゃんを持っていかなくなった(汚したくない、落としたら怖いから)頃、新しい彼氏ができた。彼はとても優しい、包み込んでくれるような人。

私ははじめて、自分の心の内を他人に明かした。
家庭環境が原因で境界性人格障害を患っている事、突発的に死にたくなってしまうこと。そして、ぐっちゃんの存在。何よりも大切な唯一の友達。彼はその話を聞いてぐっちゃんに向かってこう言った。
「俺と出会うまで、彼女を守ってくれてありがとう。」

そこで私は初めて気づいた。ぐっちゃんにずっと支えられて守られていたこと。ぐっちゃんが居たから、ここまで生きてこられたこと。ぐっちゃんがいなかったら、きっとどこかで私は壊れてしまっていたんだと思う。

いつも一緒だった存在の大きさ。これからもずっと一緒に居ようね

死にたくなった時、ぐっちゃんを抱いて寝た。
腕を切ってしまった時、ぐっちゃんの顔は悲しそうに見えた。
友達に見放されても、ぐっちゃんはずっと一緒に居てくれた。
服を作ったり、お出かけしたときは幸せそうに見えた。

ぐっちゃんとの思い出は数えきれないほどある。それでも私は気づいていなかった。ぐっちゃんの存在の大きさに。
彼と一緒に過ごすようになって、ぐっちゃんとの時間は必然的に減っていった。私がずっとぐっちゃんに依存していたんだ。

ぐっちゃんは寂しくないだろうか、怒ってないだろうかと思うときもあるけど、そう思った時にぐっちゃんを見ると「あなたが幸せそうでよかった。私もうれしい」と言っているような気がする。

これから先、結婚して子供が出来て、おばさんになっておばあちゃんになる。その時もずっとぐっちゃんと一緒にいたい。
ぐっちゃん、本当にありがとう。ぐっちゃんが居たから、私は生きてこられたよ。これからもずっと一緒に居ようね。