1週間に5日も遊ぶ大好きな親友は、どんなところも魅力的だった

『あの子』がいたから、今、頑張れる自分がいる。生きていることに、感謝できる自分がいる。生きているから、色んなことに挑戦できるということを知る。
自身の事情を不幸に思って惨めになったり、他人を羨ましがって僻んだりしてたこともあったけれど、『あの子』は、私の話を聞けば、自分のことのように怒ってくれたり、時にはネタにして笑い飛ばしてくれた。

言葉に詰まって、自分でも分からない感情が抑えきれずに泣いてしまったときは、ただ、静かに優しく、頭にポンと手を乗せて、慰めてくれた。そんな『あの子』は、小学校のときに転校してきて、1週間に5日は遊ぶ仲になっていた。

夏休み明けの小学校で、思い出を一言で表す、という発表では「『あの子』と週5で遊んだことです。」と、お互いに同じ内容の発表をした。
いつも側に居てくれる大好きな親友だった。

少し強気で振る舞いが格好良くて、絵が上手で、計算が苦手な『あの子』。漢字も苦手だったかな。

ある日のお会計で、割り勘ができるのに「あれ?割れない…?あー!もう!全部自分が出す!!」と、言い出す。勉強のノートは落書き帳。新年の挨拶、謹賀新年は勤賀新年になっていた。どんなところを取っても、色んなことも含めて、魅力のある『あの子』だった。
だけど、強気で格好の良い姿は、ただそれだけではなくて、周りに気を遣える優しい心の現れでもあった。

面会を避けた大学時代。彼女の容体が急変したと聞き、急いで病院へ

月日は流れて、大学生活を満喫していた頃、『あの子』は体調を崩して地元に帰ってきていた。周りに心配をかけたくないから、強がって元気な姿を見せていたのを知っているのに、私は久々に会う『あの子』に、嫌われるのでないかと思い込んで、いろんな理由をつけて、連絡や面会を避けていた。
もう会えなくなってしまうなんて思わずに。

1年が経ち、『あの子』がハタチを迎えようとしていたある日、電話が鳴って、事態が急変したから病院に来てと連絡があり、バスに乗って病院へ向かった。
そのバスの中で、また電話が鳴った。「……もう…『あの子』…ダメだって…」と。
何のことか、さっぱり理解ができなかった。病院に着いたときには、元気だった数日前とは思えない顔をして、天井を見上げて、毛布の隙間からはみ出た手首は、一段とより細くなっていた。

まだすこし、温もりがあるような手を握っても、何が起きているのか私には理解できなかった。成人式も迎えられずに、『あの子』は逝ってしまった。

この世界にいなくても、皆の心の中であの子はずっと生きている

思い出す度に、何故『あの子』が。何故『あの子』が。と、溢れる涙が絶えないけれど、涙が枯れたときに必ず思う、『あの子』にあの世で出会ったときには、存分に楽しんだ人生だったよと、また沢山の思い出話ができるようにと。たくさんの事に挑戦して頑張って生きようと気持ちを改める。

亡くなって間もなく6年が経つけれど、今もなほ『あの子』の話題は尽きることはない。
今はこの世界に居なくても、ずっと皆んなの、心の中で記憶の中で、『あの子』は生きている。

新年度、毎年桜が咲き誇り、花びら舞い上がる空を見上げて、今日もまた『あの子』に「行ってきます!」と心で微笑み、今日も一歩一歩、生きていることに感謝して前進する。幼少期