春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。
春で約一年ほどお世話になったバイト先を異動することになった。その際先輩が「すごく頼りにしてた」とか「正直抜けられるのはすごく穴が大きい」などと声をかけてくださり、1年間暗中模索ながらも頑張ってよかったなと思うことが出来た。

試行錯誤だった塾講師のアルバイト。帰りの電車で一人反省会をするほど

私のバイト先は塾だ。昨年、コロナウイルスの中でバイトに受かったが、直後に緊急事態宣言により休業していた為、最初は思うように仕事を始めることができなかった。
仕事を始めてすぐに、夏期講習でが始まった。とにかく毎日シフトに入っていて、右も左もわからないまま先輩たちに色々な事を教えてもらいながら、とにかく働いた。

フェイスシールドをしながらの業務は暑くて、髪は崩れるし、生徒の表情も読みにくい。果たして本当に理解してくれているのか、覚えてくれているのだろうか、不安だった。

私は自分が生徒の時、どんな先生だったら嬉しかったか、私が塾に通っていた時先生からかけてもらった言葉で嬉しかった言葉を思い出し、どんなこと言われて嫌だったか、傷ついたかを考えてはそのような言葉遣いはしないように気をつけようと思いつつも、生徒に伝えなければならないことはたくさんあって、どのように伝えたらスッと受け取ってもらえるのか、どんなふうに宿題を出したら生徒がやる気を出してくれるか、どれくらいの量がいいのかなど、日々全ての業務が試行錯誤だった。

やっと夏期講習が終わった、と思っても、ここからは受験生にとって大切な時期。私もますます気合を入れて授業に取り組んだ。

一回一回の授業で、なるべく情報量を盛り込み、いかにコストパフォーマンスの良い授業、勉強を好きになってもらえるように覚えるための工夫や、関連する面白い逸話など、暗記の手助けになるようなものも入れつつ、時間内にやるべき量をこなさなければならない、毎回もっとこの話してあげればよかった、ここの時間ロスタイムだったかなと帰りの電車では1人反省会をしていた。

大学の課題と塾の準備に追われた冬。生徒の一生懸命な姿を見て頑張れた

冬季講習期間は自分の大学のレポートとテストが重なり、本当に自分じゃなくなるんじゃないか、と言うくらいには必死になっていた。大学の課題をやって、バイトに行って、家に帰っては次授業で扱う過去問を解いてはどんな解説をしようか考え、ここは絶対この話をしようなどと決めて意気込んでもなかなか時間内に全ては話しきれない、伝えきれないと葛藤。

休みの日ですら、生徒のことばかり心配して早く授業したい、とうずうずするほどだった。
受験前ラストスパートの年明けも怒涛の日々だったが、生徒達が前間違えた問題を次に解けるようになっていくのを見ていると本当にこの子達は頑張っているなと感動したし、一生懸命目標に向かって頑張る姿に、と私も頑張らねばと焚き付けられもした。

そうして最後まで頑張りぬいて試験に向かっていく生徒達が晴れやかな顔をして試験に臨んでいくのが本当に誇らしい気持ちになった。

そして、いざ私も春、バイト先を離れることにしたわけだが、先輩が私に「すごくいつも一生懸命授業しててその熱意生徒に届いてたと思うよ!生徒がすごく信頼してたのも伝わってきてたし頼りにしてたよ!」と声をかけてくださったのだ。

先輩から言われた言葉は、自分を肯定するきっかけになった

なかなか周りを見ることが苦手で、自分を客観視するのが下手で、頑張っているのなんて所詮自己満足なんだ、とどこかで思っていた私は、その言葉で自分の努力を評価してもらえることもあるのかと思った。そして他者から見た自分の存在にものすごく救われたのだ。

実際受験はどんなに頑張っても思う結果が出ない時もあるし、逆に予想以上に結果に繋がることもある。努力はもちろん必要だが、努力と運、どちらも相応に持っている人しか結果に繋がらないというシビアな世界だ。
しかし頑張り抜いた生徒の清々しい表情や、受験が終わった後の生徒から何気なく言われた「先生、ありがとう」の言葉、そして同じ講師陣からの評価。

もちろん生徒の人生を負う責任と仕事量は本当にバイトか?と思うこともあるが、久々に自分を肯定するいいきっかけになった。

これからは他人によく見せたくて意地を張ったり、他人からの見られ方を気にして怖気付いたりせず、もう少し自分に自信を持って、もっと周りを見て、他の人のいいところを見つけて自分の技にできるようにしたり、私のことを肯定してくれた先輩のように、他人を肯定してあげられるような人になりたいと思う。