ミステリアスな女性はモテる!なんてよく言われるけど、実際そんなことないと思う。人からよく、あなたはミステリアスだねと言われる私がいうのだから、少しだけこちらの言い分も聞いて欲しい。

「自分なんかいない存在でも構わない」と感じてしまう自分が嫌だ

私は他人からこう見られたいとか、このキャラを推していこうとか、自分演出のプランがない。きっと、私の第一印象は大人しいと多くの人が答えるはずだ。自分と関わる人が平穏に過ごせて、嫌な気分になったりしないでほしいという最低限の姿勢がそうさせるだろう。

一度懐に入ってきてくれれば仲良くなれるのだが、来る者拒まず、去るもの追わずの孤高オーラを突破して近づいてくる強者は極わずか。自分でいうのもなんだが、人に害を与えないナチュラル良い子で居られるため、ありがたいことにとなりを歩いてくれる友だちや仲間ができることもある。

でもだいたいはコミュニティの輪に入ったとしても、皆の「悪い人じゃないけど、この人とどう接すればいいの」という気遣いと自分の厄介者感を察してしまう。それでもなるべく場を乱さないように、当たり障りのない会話でやり過ごす。

もはや自分なんかいない存在だと思ってもらっても構わないという、謙虚を通り越して自虐的な考えにすらなりかけたり。そうなってくるともう早くこの場から去りたい、なんて思えてきて、そんな自分がまた嫌になる。

向けられる「ミステリアスだね」の声。自分自身の在り方を諦めそうになる

別に皆のことを嫌いなわけじゃない、それは分かって欲しい。いや、そう思っているならもっと愛想良くしたり、自分から話しかけにいったりすればいいのか。
でも一人でいることも気楽で好きだし、そこまでしてもっと仲良くなろうとも思わないし……そんな負のスパイラルにのまれることもあった

私に向けられる「ミステリアスだね」の声はきっと、この姿が意味不明で分からないからだろう。こんな拗らせたミステリアスも存在するのだから一概にモテるとはいえないのだ。

ただ、こうも考えられる。
拗らせミステリアスの根底にある、嫌な気持ちにさせたくない、平和でいたいというのは実は建前で、本当はきっと嫌われたくない、だったかもしれない。

傷つきたくないし傷つけられたくない、そんな思いからいつしか壁をつくり、他人を中に入れないくせに自分はそこから周りを観察している卑怯者になっていた。
自分に向けられる他人からの好意はもったいなくて受け取れないと拒絶するくせに、自分の中で溜めに溜めて吐き出した愛は押し付ける。

何を考えているのか分からない、不思議な子と言われるのがもうどうでもよくなってきて、自分自身の在り方を半ば諦めていた。

未経験で演技の世界に飛び込んだ私は初めて「見られ方」を意識した

こんなに自分勝手な考えを改めるきっかけをくれたのは、大学卒業後に声優養成所で過ごした2年間だった。

未経験者の素人で演技の世界に飛び込んだ私は、ここで初めて自分の見られ方を意識するようになった。感情をだだ漏れにさせてなんぼの役者、内に秘めていては誰も見つけてくれない、売り出していく自分のキャラクターを魅せる、0の自分からいきなり100を求められる日々で、自分とは何者なんだと自問自答を繰り返した。

無我夢中で未知なる何かをつかもうともがいて、必死になればなるほど自分の嫌なところが浮き彫りになって、人間的な未熟さをことごとく思い知らされた。
今まではあなたの事が分からないと言われ、じゃあいいよって不貞腐れてばかりいた。でもちゃんと逃げずに向き合っていると自分の態度が解けて、無意識に閉ざしていた心の扉が開くと同時に、世界が拓けていく感覚があった。

周りにいる人たちは案外敵ではないし、そばにいる人と手を取り合って生きていけばいいんだなあと、あまりにも簡単なことに気付かされた。

知らずのうちに自分で自分を縛りあげて隠れていたけど、コソコソ生きるのはつまらないなとやっと思い始めた。見ている世界自体は変わらないけど、ここまで生きてきてやっと、自意識と自己肯定感が自分の生きやすい程度になってきた。

大丈夫、思っているよりも味方はいるし、思っているよりもみんな他人に興味ないし思っているよりも私は前を向いて生きていける。
24歳になった今、ようやく視界が晴れて自由になれた。