『あの子』がいたから。背筋をのばして、私も生きていきたいと思えるようになった。

私は小学生のころ、友達だと思っていた人からいじめられて、少しの間不登校になっていた。小学生の世界なんてとても狭いもので、ある友達から嫌われてしまえばクラス全員からのけ者にされて、居場所がなくなるようなものだった。

親の支えで何とか地元の中学に入学できたが、このころから人との関わりに苦手意識を持つようになった。

中学生になり、いじめられないように息をひそめて過ごしていた

中学に上がっても、人との関係を築くのはとても難易度の高いものだった。

いくつかの小学校から中学に生徒が集まるとはいえ、私をいじめた人はそばにいる。多感な学生が30人集まり、1年間は同じ場所に行き来する。流されやすくて、自分がかわいい生徒たちは、誰かがいじめのターゲットになれば、いじめるか、傍観者になるかの二択で、助けてくれる人なんて、誰もいないようなものだった。

うまく立ち回れる子はいい。誰とでも気軽に話せる生徒であれば、華やかなグループに入って、楽しく学生生活を送れるだろう。でも、私はそれが苦手だった。

クラスからあぶれないように、私が入れるグループを探し、小学生の時のように、いじめられないように息をひそめて、読めない空気を読もうと努力してひたすらに耐える3年を過ごしていた。

勉強だけは、と努力し、大学の進学が望める学校に入った。自分の中学からその高校に行く人は片手で足りるくらい。ようやく狭かった世界が広くなり、いままで全く出会ってこなかった性質を持った人が多くいた。

高校で出会った魅力的な彼女。彼女と過ごすことができるだけで幸せだった

ここで、私の人生を変える友人と出会った。高校に入って全く違うことをしようと部活を探していた最中に、ひょいと見学に入った部活にその子はいた。みんなが同じ制服を着て、見分けがつかない状況の中、彼女だけは目を引く容姿だった。

ピンと伸びた背筋、意思の強そうな瞳、そして何より、高校1年生にもかかわらず、ほかの生徒と違って隙の無い雰囲気に、目が離せなくなってしまった。いくつか部活を見て回っていたが、ほぼその子がいるからという理由で合唱部に入った。

彼女の魅力は、日ごとに増していった。

中学では簡単だった勉強がどんどん難しくなり、落ちこぼれて、宿題もまともにしなかった私は、毎日あった部活にだけは参加した。その子が経験者で、他の人よりも上手かったから、私も彼女と同等レベルにまでとはいかないまでも、並んで立ちたかったので、誰よりも長く練習し、読めなかった楽譜も読めるようになり、音楽をつくれる作れる一員にもなれた。

クラスは一度も一緒にならなかったけれど、部活で毎日放課後に会える喜びが私を毎日学校に向かせてくれた。クラスでうまくいかない時も、家で嫌なことがあっても、その子と会って、話して、一緒に帰ることができるだけで、幸せだった。

「生きていて、よかった」。私になかった感情を彼女は与えてくれた

彼女は、中学校まで息苦しいだけの学校を、楽しい場所へと変えてくれ、それだけではなく、音楽という一生の楽しみ、部活の仲間と所属意識をもたらしてくれたとともに、私になかった感情を与えてくれた。

「生きていて、よかった」という感情だ。

幼いときにいじめられた記憶をじくじくと引きずっていた私は、嫌なことがあると、「死んでしまいたい、生きている意味なんて私にはない」という負の感情にとらわれることが多かった。

でも彼女と会って、生活を送る目標も、喜びも、かけがえのない仲間も得て、やっとこの感情を持つことができた。

高校の時よりも、会う頻度はずいぶんと減ったけれど、たまに会い、近況を話すと今でもすぐにキラキラした思い出のある時代に戻れる。彼女はますます綺麗になり、憧れの人のままでいる。

私も背筋を伸ばして、彼女のように生きたい。