6月生まれの私には、雨は私を素のままでいさせてくれる存在だ。
裸足で歩くとペタペタするフローリング、思いもよらない方向にはねる前髪、ジャケットからのモワッとした埃くささ、制服が雨に濡れた時のにおい、靴から侵入してきた雨に濡れて蒸れる靴の中、それらは全て、私の気持ちを和らげ、日常へと戻してくれる。
雨でも完璧にキマっていたい。化粧崩れを事あるごとチェックしていた
雨の日は、天パの髪の毛に抗うようにいつも以上に丁寧にヘアアイロンをかけ、化粧がよれない工夫をする。雨でも完璧にキマっていたい。雨だと巻いてきた髪の毛がストレートに戻っちゃう、そんな直毛の子がうらやましかった。
外出が続いても、事あるごとにお手洗いに行き、鏡で髪型が崩れていないか、化粧がとれていないかチェックするのが雨の日のルーティンだった。
ある日、会社のホームページに載せる写真を撮ることになった。
おろしたてのブランドの洋服をまとって、熱々のヘアアイロンで何度も髪の毛をのばし、いつもより少し濃くアイシャドウとアイラインをし、丁寧にまつげをあげた朝は、雨だった。
写真に残るのだから、いつもより綺麗な自分でいたい、そんな気持ちとは裏腹に、天気は私の味方をしてくれなかった。
会社につくと、案の定髪の毛は天パを発揮し、少し汗ばんだ顔を鏡に映せば、下がったまつげと薄くなったアイライン。こんな時に限ってメイク直しの時間もままならないまま、写真撮影に呼ばれてしまった。
さらに、初めて本格的なカメラで写真を撮られることに緊張していた私の気持ちをほぐすため、笑わせてくれるカメラマンと周りの同僚。
思いっきり笑った顔は、頬の肉で目が埋もれるので、なるべく目が大きくはっきりして映りたいと思っていたのに。
後日あがってきた写真をみれば、案の定いつも通りの私がいた。
この写真が一番好きです。それは、うねった髪で大きく笑っている私の姿
いつの間にか誰かに撮られていた飲み会の時の私の写真、友達とふざけあっているときの私の写真、そんないつも通りの私の姿があがってきた。
セレクトされた写真の中に、うねった髪の毛がばっちり映りながら、大きく口を開けて笑っている横顔の写真があった。
「この写真が一番好きです。あなたの笑顔はとても魅力的です」とコメントがついていた。
雨はありのままの私を晒す。自分を偽りなく表現できる存在だと思う
おしゃれをしようと、可愛くなろうと頑張ることは悪いことではないし、自分が気持ちの良い自分でいられることがなによりも大切なことだと思う。
だけど、雨が降れば、私が肩肘はってかっこよくしようとしていたことは崩れて、素の自分が出てしまう。私がもっと可愛くて美しい人でありたいと思っても、雨がありのままの私を晒してしまう。
そして、それが人には魅力的に思える自分であったと気づかされた。
それからは、雨の日でも熱心にヘアアイロンをかけることをやめたし、どうせ落ちてしまうアイラインは薄めにひくようになった。
今日は雨だし気楽にいこう、そのくらいの気持ちがちょうどいい。
だから雨は、私を日常に戻して自分を偽りなく表現できる、そんな存在だと思う。