唐突ですが、自己紹介をします。彼氏いない歴=年齢の処女です。
大好きだった人は何人かいたけれど、ベッドインまでたどり着くことはなかった、正真正銘のヴァージンです。

ヴァージンがセックスをテーマにエッセイ?? そうなんです、ちょっと恥ずかしいんです。でも、最近セックスについて考えることが多くて、いろんなエッセイを拝読していたら、ヴァージンがセックスについて語っているものにあんまり出会わなかったんですよね。

経験豊富な先輩たちのエッセイはもちろん素敵だけど、私みたいな経験ゼロの人って、セックスについてどう思っているんだろう? それに、セックスについての話って、むしろヴァージンの方が求めているんじゃない? そんなことを考えて、胸を張って「同じ目線だよ!」と言える今、思い切って書いてみることにしました。

セックスについて話すのは恥ずかしい?罪悪感でいっぱいだった私

初めて「セックス」という言葉を認識したのは、小学校6年生のときです。

同じ班のませた女の子が、給食の時間に「裸の男の人と女の人が一緒のお布団で寝ることだよ」とニヤニヤしながら教えてくれました。そんなことも知らないの? というからかうような目線がとても気まずくて、口に出すのも恥ずかしい言葉なんだなと思ったことを、10年以上も前のことなのによーく覚えています。

あの日の恥ずかしさを抱えたまま、特に大きな恋愛イベントもなく中学高校を卒業し、彼氏いない歴を順調に更新しつつ大学生になりました。

そんな箱入り娘に変化が起きたのは、20歳を過ぎたころです。いわゆる性欲を感じることが増えてきたのです。

その頃には、セックスが「裸の男の人と女の人が一緒の布団で寝ること」だけではないことは理解していました。でも、とてもいやらしい、いけないことだと思っていたので、女の子なのに、まだ何も経験していないのに、私ってこんなにやらしい子だったの?と罪悪感でいっぱいになりました。

そのうちに、昼夜を問わず突然「セックスしたい!!!」という気持ちで脳内が占拠されるようなことも出て来てしまいました。

でも彼氏もいないし、母や友達に相談するのも恥ずかしいし、どうすればいいのかわからなくて、本当につらくて。どうして私だけまだ経験がないんだろう、と枕を濡らした夜が何度あったことか。

愛する人に触れたいのは当たり前。ホストマザーの教えを受けて…

そんな私の性への認識を変えたのが、留学先のホストマザーでした。
「セックス」という言葉を発するのさえいけないことのように恥ずかしがる私に対して、愛する人と体温を分かち合うことは素晴らしいのだから、恥ずかしがる必要はないと、たくさんの話をしてくれました。

ヒトだって動物なんだから、性欲があるのは当たり前。
愛する人に触れたいと思うのも、その人のことが好きなんだから当たり前。
それを踏まえたうえで、セックスの相手と対等に話し合い、相手が異性ならば子供を望まない時にはしっかりと避妊をし、コミュニケーションの手段としてセックスを楽しむこと。

こうやって書いてしまうと、なんだか当たり前のことのようにも思うのですが、素敵なセックスを積み重ねて、自分の性に揺るぎない自信をもっている先輩からの、本当に大切なアドバイスです。

パートナーと心身両面で対話し、自分の性に自信を持つために

帰国して大分経つのですが、やっぱり日本にいると、セックスの話、性にまつわる話はおおっぴらにすべきではない、いやらしい話題だと感じてしまいます。ヨーロッパの方が進んでいるとか、そういうことを言いたい訳ではないのですが、職場で生理がつらくても誰にも言えなかったり、性の話を真面目にしたいのに下ネタ扱いされてしまったりと、特に日本ではどうしても、「女性」であることに引け目を感じたり、やりづらいなと思う場面が多いような気がします。

私は相変わらずヴァージンだし、ロストする予定もありません。
でも、セックスをしたいという欲求は生き物として当然のものだし、「セックス=いやらしい」ではなく、パートナーや自分自身と、心と身体の両方で対話をする、自分の性に自信をもつためのコミュニケーションの手法なんだと、少しずつそう感じられるようになってきました。そして、これって、セックスを経験していてもいなくても、みんなが知っておくといいことなんじゃないかな、とも。

だから、まだ心に巣食う「恥ずかしい」を圧して、この場で言います。

日本の女の子たち、ううん、女の子だけじゃなくて全てのジェンダーのみんな、胸を張って、堂々とセックスの話をしようよ。
そして、相手の性を、あなたの性を、みんなで尊重し合おうよ。

私ももっともっと勉強して、自分の性に自信をもてるよう、頑張るから。