「ど」がつく田舎で3人兄弟の長女に生まれた私は、甘やかされてわがままに育った。ふつうは弟のほうがかわいがられることに嫉妬するのだろうけど、うちはおじいちゃん・おばあちゃんが近くにいたから、愛情に飢えた感覚はなかった。むしろ、厳しくも甘いおばあちゃんと、ただただ甘いお父さんのおかげで、かなりわがままに育った。
そんな私に初めてできた友だち、えりちゃん。両親は共働きだったので、いつもおばあちゃんの家に預けられていた私。そのおばあちゃんの家とえりちゃんの家が近くて、保育園も一緒で、物ごころついた頃にはいつも一緒にいた。えりちゃんはお兄ちゃんがいたから、私よりも先にいろんなことを知っている。勉強ができて、ピアノが上手い。そしてなにより、とっても優しい。
私はそんなえりちゃんが好きだったし、小さな保育園ではほかに家の近いおんなのこがいなかったから、私の世界の全てがえりちゃんだった。
「友達やめたい」と書かれた手紙。幼いながらにそれではダメだと思った
小学校にあがって数年。最初こそえりちゃんと2人で一緒にいたけど、優しいえりちゃんにはほかにも仲のいい友だちができていた。
それでもみんなで遊んでいたし、気にしてはいなかったのだけど、ある日もらった小さな紙切れ。私はいつものようにちょっとした手紙をもらった程度に思っていたけど、文字が小さい上にぐちゃっと書かれていて読めない。
読めないからなにげなく、おばあちゃんに渡して見てもらった。なんとかして読もうとしばらく手紙を見ていたおばあちゃんが言ったのは、「いじわるだから、友だちやめたいって書いてあるよ」
衝撃で、頭をなにかで殴られたような感じがした。まだ10年も生きていなかった私だったけど、ことの重大さは理解した。そう言ってもえりちゃんは優しいから、私が近くにいればきっと一緒にいてくれる。でも、幼いながらに、それではダメだと思った記憶がある。
そこから私は劇的に性格が変わって……なんていう美談があるわけでもないし、えりちゃんに会うのが気まずくて学校に行かなくなって……なんていう極端な話があるわけでもない。だけど、それから私は少しずつ、自分のふるまいを考えることができるようになった。今でもひとに優しくなれたのかはわからないけど、幸いにも優しいひとに恵まれた人生を送ることができている。
あの時の衝撃は20年近くたった今でも、ふとしたときに思い出す
私はもうすぐ30歳になる。えりちゃんからの手紙の話はずっとずっと前のことだけど、あの衝撃は大きくて、ふとしたときに思いだす。ずっと記憶しているわけでもないのだけど、ふっと自分のなかに降ってくる感じ。
そのたびに私は、ああ、いまの私って、自分中心になっていないだろうか。自分をよく見せようと、誰かをおとしめるようなことをしていないだろうか。そんなふうに考えて、立ち止まってみる。
あのときにもらった『いじわる』という言葉がどんなふるまいのことを指していたのかは、もう昔のことすぎてわからない。でも、歳を重ねるたび、じぶんなりに定義をしなおして、自らのふるまいを見直すきっかけとなっている。
『えりちゃん』がいたから。私はえりちゃんに憧れて勉強をしたし、ピアノも習ったし、そしてひとに優しく生きたいと思った。
中学からは違う学校だったので疎遠になってしまったけど、人生の一番最初の岐路に気づかせてくれた、大切な友人。
大きな岐路を選んで20年。はじめての友達に伝えたいことがある
人生を10年も生きていない頃の岐路って、とても大きい。そこからあやまった道を生きつづけると、20年も経った頃には全くちがった人間になってしまう。
えりちゃんはその後、夢を叶えて医者になったと聞いていた。同窓会なんかもほとんどないご時世だし、どうしてるかなと思っていたら、結婚をしたと連絡をもらった。
私もうれしい。おめでとう。優しいえりちゃんの人生が、これからも優しいひとたちと共にありますように。