かつて隣の家にいた、犬のペコの話をしようと思う。
ペコがいたから、私は命の尊さを知る事が出来た。
門前払いされても。懲りずにペコの顔を見に、隣家の庭を訪れ続けた
ペコは、元の飼い主から虐待されていたところを、見るに見かねた隣家の夫婦が引き取って来た犬だった。コーギーと柴犬のミックスで、その愛らしい見た目とは裏腹に、虐待されていた経験から人間恐怖症になり、人に本気で牙を剥く様な凶暴さを持っていた為、隣家に来て数か月は、誰も近づく事が出来なかった。だからみんな、ペコの事を怖い犬だと言っていた。
余談だが、最初にペコを見た時、私は思った事がある。
「ボンレスハムみたい」と。
胴体が長く、狐色をしていて、美味しそうなのである。
無論、凶暴さ故に、近づく事は出来なかったが、私はペコに、勝手に親近感を覚えていた。今思えば、幸せとは言い難いその境遇に、父親を亡くし空虚な思いをしていた当時の自分自身を、無意識の内に重ね合わせていたのかも知れない。
家の中ではなく、隣家の玄関横の、屋外の犬小屋で飼われていた為、私はペコの姿をいつでも見る事が出来た。
自分の家では犬を飼う事が許されていなかった私は、暇さえあればペコに会いに行った。警戒心の強いペコに唸られ、牙を剥かれ、門前払いされる事がほとんどだったが、それでも私は、懲りずにペコの顔を見に、隣家の庭を訪れ続けた。
すると、ペコは次第に、私に慣れ始めた。小学生の女児が自分に危害を加える事は無いと理解したのだろう、ペコは私が近づいても、警戒しなくなっていった。
どうしようもなく悲しい時、私はペコの小屋で、共に時を過ごした
そんなある日の事だ。いつもの様に学校帰りにペコの顔を見に行くと、ペコは小屋から出て、私に向かって尻尾を振ったのだ。初めて犬と友達になれたと感じた瞬間だった。その日、私は初めてペコに触った。ふかふかで、でも少しごわごわしていて、温かかった。
その日から私は、急速にペコと仲良くなっていった。
休日は、隣家に頼んでリードを借り、ペコと近所の冒険に出かけた。ペコを見ながら歩いていると、道端の花や小さな虫等、今までは気にも留めなかったものたちが見える様になった。私は花に詳しくなり、ペコはマーキングのプロになった。私達は親友だった。
学校帰りには毎日ペコの小屋へ寄った。やがてペコは、私が訪れると小屋から出てきてくれる様になった。テストで悪い点を取った時、親と喧嘩した時、どうしようもなく悲しい時、私はペコの小屋に行って、ペコと共に時を過ごした。
その後、私は中学生、高校生になるにつれ忙しくなり、段々とペコと過ごす時間は減っていってしまった。ペコには白髪が増え、寝ている時間が多くなり、そして段々と、動かなくなっていった。たまに見に行っても、寝たまま出てこない事が増えた。
毛質はそのままなのに、ぞっとする位冷たかった。やっと理解した
そして、大学受験を間近に控えた高校3年生の夏休み、ペコは永遠の眠りについた。
勉強のし過ぎで鈍感になった心に、ぽかんと真実だけが浮かんでいた。その冷えた心のまま、無意識にペコに触ると、冷たかった。毛質はそのままなのに、ぞっとする位冷たかった。その時私はやっと理解したのだ。
もうペコには会えないのだと。
ペコは何歳だったのだろう。何月生まれだったのだろう。今となってはもう分からない。
あの時、私は確かにペコに支えられていた。ペコがいたから、一人っ子でも、親が働いていても、さみしくなかった。どんな時でも傍にいてくれて、多感な時期に心の支えになってくれた。
ペコがいたから、犬とも気持ちが通じ合える事、命は有限だからこそ大切にするべきなのだという事を知った。
ペコの事は今でも思い出す。もう亡くなってしまったけれど、ペコは私の心の中では、永遠に生き続けている。