スマートフォンのホーム画面から、指をスワイプさせ某動画サイトのアイコンをタップする。開いたのは、ある女性ユーチューバーのチャンネルで、数時間前に更新された新着動画。更新されれば遅くとも24時間以内には視聴するほど、私は彼女の作る動画が好きだ。

整った容姿ばかりに注目していたが、しばらく視聴し続けて思ったのは

そのユーチューバーは、かつて私が好意を寄せていた人が好きだった方であり、目が大きくて鼻筋がすっと通っていてショートカットがよく似合う、360度どこから見ても美人な方だった。
私は、好きだった人に振り向いてもらえなかった敗北感からか、そのユーチューバーに嫉妬し、美人でかわいい人が好きなんだ、やっぱり顔なんだと、自信喪失し卑屈になり、終いにはそのユーチューバーを毛嫌いするようになっていた。

しかし、どういう風の吹き回しか、ある時彼女の動画を見てみようと思い立ったのである。
見始めた当初は、やっぱり顔、可愛ければなんでもいいんだと、整った容姿ばかりに注目していたが、しばらく動画を視聴し続けて思ったことがある。
それは、彼女がとても自然体だということだ。

彼女の動画は、自分が食べたい料理を好きなように作り、完成したら食べ、話したいことがあれば話すという何の変哲もないものだった。よくありがちな「~してみた」や「○○のモーニングルーティーン」といった洒落たものではなく、日常の一部分を切り取った、誰の家にもある風景を動画にしていたのである。

飾らない雰囲気や態度を称賛するコメントが多く寄せられていた

料理を作る工程においても、切れ味がいまいち悪い包丁を使い、危なっかしいさばき方をしていたり、食器洗いが面倒くさいからと、作った料理をフライパンのままかき込んだり。料理の仕上がりは、Instagramにあがっているようなカフェ風のものではなく、食べることさえできればいいという、一人暮らしにあるあるな、お世辞にも見た目がきれいとは言い難いものだった。

トークにおいても、オチがあるとりわけ面白い話をするわけでもなく、話したいことをただ話し、食べ終わったら「ごちそうさま!」と言って終了する。見始めた当初は特に思うところはなかったが、自分のことを曝け出す、自然体なその姿に私は徐々に魅せられていった。
動画のコメント欄には、容姿がかわいいというものに加えて、「落ち着く」「実家感があっていいね」など、彼女の飾らない雰囲気や態度を称賛するコメントが多く寄せられていた。

私はこれまで無意識のうちに、すごい自分を演じようとしていたと思う。
色々な分野の知り合いがいてすごい、海外に行っていてすごい。はじめはただ単に、自分が関心のあることを始めただけで、そのつながりで色々な方と知り合いになれたり、たまたま機会に恵まれ海外にも行けたりしただけなのだが、次第にFacebookの友達の数やInstagramの「いいね!」の数を気にするようになるなど、すごい自分を守るために必死になっていた。

承認欲求の塊が、SNSをはじめ、私生活の所々に点在していた

気が付けば、Instagramの自分のプロフィールページには、旅行に行った写真やよく撮れたと思える写真を載せるようになっていて、普段の全然イケてない自分とは全く別人の、毎日とても楽しく充実している虚像の写真たちが並べられていた。
人と会っている時も、そういう気分じゃないのに楽しんでいるふりをしたり、テンション高く満面の笑みで過ごしたりするようになっていた。
嫌われたくない、いい人と思われたい、すごい人と思われたい。そんな承認欲求の塊が、SNSをはじめ、私生活の所々に点在するようになっていた。

彼女の動画再生回数が伸びている要因の一つに、容姿が整っているためであることはもちろん否めない。しかし、それだけではないと私は思う。
すごいことができなくても誰からも責められない、ただそこにいるだけでいいんだ、宝なんだと伝えてくれているようなあたたかい空間が、そこにはある。

自分だめだなと自身を責めたり、外では肩肘張っていい恰好をしていたとしても、実家に帰れば「おかえり」と両親がご飯を作って待っていてくれ、飾らずにいられるあの感じ。
全くかっこよくない、すぐ泣いてしまう弱い自分を見せたとしても、泣いていいんだよ、頑張って強がらなくていいんだよと、私の全てを受け入れ包み込んでくれるあの感じ。

そのようなメッセージが、彼女の動画には詰まっている。
ただそこにいて、毎朝ちゃんと起きて学校に行って、目の前のことに四苦八苦しながらも精一杯過ごして、今日もお疲れさまと一日の終わりに自分を労う。無事に一日を終えることができた幸せを感じ、自分を大きく見せようとせず、ありのままの、自然体の自分でいる大切さを、私に教えてくれた。

「人は出会うべき時に、出会うべき人に出会う」と誰かが言っていた。
自分の人生に何かしらの意味があるから、そのタイミングで出会うべき人に出会うのだと。
好きだった人には振り向いてもらえなかったけれど、その人が去っていった代わりにこの女性ユーチューバーに出会うことができた。失恋した時は、「なんで?やっぱり顔でしょ?」と好意を寄せていた男性を疎ましく思うこともあったが、彼と出会えたことでこの女性ユーチューバーにも出会うことができたし、ありのままの自分、自然体でいることの大切さなど、私がいつからか忘れていたものを思い出すことができた。
もしかしたら、私自身が自然体でいることの大切さに気付くために必要な、別れと出会いだったのかもしれない。

ありのままの自分でいること。自分と他者を比べずに生きていくなんて、この世の中においては大層難しいことなのかもしれない。
それでも、ただそこにいるだけで立派な、他の誰でもない1人の人間、自分なのだ。飾らずに、取り繕うことなく、自然体で過ごしていきたい。