私は幼い頃から自分に自信がなかった。ここで理由を深掘りすることはしないけれど、自信をつけるために勉強とか部活とか、目に見えて分かりやすいことを頑張った。テストで良い点を取ったり、部活で良い背番号を貰ったり、持久走大会で良い結果を出せば自信がつくと思っていた。
でも、ついたのは自信じゃなくて、プライドだったと思う。そんな私は友達に好かれていると自信を持てなかったし、プライドが邪魔してうまく人と付き合えていなかった。学校を卒業すれば疎遠になってしまうような関係しか築けなかった。そんな私が変われたのは、間違いなくあの子がいたからだ。
私は周りに「自分の素」を見せず、人と深い関係を築けずにいた
中学3年生の時に体育でダンスをやって、ダンスに目覚めた私はダンス部のある高校に入ろうと決めた。自身をうまく表現できない自分を変えたいという理由もあった。選んだ高校には、同じ中学の同級生も地元の同級生もほとんどいなくて、ゼロから人間関係を築いた。
クラスでなんとなくよく一緒に行動する人はできた。でも、特定の4人グループとかじゃなくて、大人数がなんとなく一緒にいるような関係だった。それは学年が上がってからも同じだった。部活でも同学年のみんなと、それなりには仲が良かった。帰る方面でなんとなく仲の良いグループはできたけど、先まで続く関係には思えなかった。
今思えば、それは全部自分の意識のせいだったのかもしれない。周りの友人を理解しようとか、大切にしようという気持ちが足りていなかったからかもしれない。いくつになってもどれだけでも人と知り合えるからと、信じて疑わなかったからかもしれない。
そんな私は、高校でダンス部に入ったって周りに自分の素を見せず、周りに対しても無関心だった思う。だから人と深い関係を築けなかったのだと思う。
面白いあの子が「無表情だね」と言い、私はいじられるようになった
3年生になっても相変わらず大人数でつるんでいた。そんなある時、あの子は私に「無表情だね」と言った。その子はクラスの中心的な存在で、お笑いセンスも高く、いつも笑いを生んでくれる子だった。
私は面白いあの子が大好きだったし、本当はもっと仲良くなりたいと思っていた。これまでプライド高めの私をいじる人はいなかったし、その時は痛いところをつかれたなぁと思った。
その頃をきっかけに周りの友達から、感情があまり表に出ないことをいじられるようになった。それに対して、嫌な感情はなかった。ありのままの私を受け入れてくれたんだと感じた。
そして、卒業の時を迎え、卒業アルバムに寄せ書きをした。あの子はそこに「人間関係大変だっただろうけどよく頑張ったね」と書いた。あの子は、私や周りのことをよく見ていたんだな。
あの子が私と向き合ってくれたから「無理しなくていい」と気づいた
高校在学中に、私はそれほど変われなかったかもしれない。でも、今振り返って思うのは、あの子が私の痛いところをついて私と向き合って、重たい心の扉を押し開けてくれたから、ありのままの私を受け入れてくれたから、私は私でいることに自信を持てたんだということ。好かれようと、無理に自分を取り繕わなくてもいいんだと気づけたんだと思う。
高校を卒業して、もう7年が経つ。あの子を含めた高3の時の友人とは、今では月1で集まる仲になった。あの頃の私なら話せなかった深い話もできるようになったし、感情を外に出せるようになった。大学で知り合った友人と今も良好な関係を築けているのも、夫にたくさんの感情を見せられるのも、あの子がいたからだと思う。
今、私は大切にしたい友人に自分から連絡を取る。相手が自分をどう思っているかよりも、自分が相手を大切に思っているということが重要だと思うからだ。そして、相手の本音を聞きたいときは、自分から本音を話す。
今だって私の心の扉は重い方だ。でも、昔とは違って時々扉をノックしてくれる人がいる。もちろんノックしてくれる人のおかげなのだけど、ノックしてもらえるのは私が変わったからっていうのもあると思う。