「傘をさすと聞こえる雨の音が好きなんだ」
私が小学生の頃、1番仲が良かった友達に言われた言葉である。
日常の何気ない言葉ではあるが、私はそれがずっと記憶に残っており、成人した今でも雨が降るとその言葉を思い出す。
憂鬱な雨の日の学校。その子は必ず、私を家まで迎えにきてくれた
まだ、小学生になったばかりで友達もいなかった私に、その子が話し掛けてくれたことがきっかけで友達になり、そこから一緒に登校するまでの仲になった。晴れの日は私が家まで迎えに行き、おしゃべりをしながら学校へ行くのが日課になっていた。
しかし、私は雨の日は憂鬱で学校へ行く気分になれなく、渋っていることが多々あったのだ。当時の私は、雨だけでも気分が沈むのに、まだ慣れない環境が重なって学校へ行きたくなくなってしまっていたのだろう。
しかし、そんな時にその子は家まで迎えに来てくれ、どんなに待たされようが必ず私を学校まで連れて行ってくれるのだ。晴れの日は私から迎えに行くのだが、雨の日だけは立場が逆転する。小学生の時の私は、外で遊ぶことができないのに、何故こんなにもこの子は雨の日を楽しむことができるのだろうと不思議に思っていた。
なぜなら、小学生の代名詞とも言える外遊びが雨の日はできないとなると、周りの友達は教室の窓から雨を恨ましく眺めている。もちろん、私もそちら側だった。
しかし、その子だけはなぜか雨を楽しむかのように眺めていたのだ。その子が外遊びが嫌いだから雨の日が好きだ、ということはないのは分かっていた。
なぜなら、晴れの日はその子からクラスのみんなを外遊びに誘うからだ。なにより、その子自身が外遊びが大好きと、最初の自己紹介で言っていたのを私は知っている。
「空が演奏会を開いてくれているみたい」。教えてくれた雨の楽しみ方
なら、なぜ大好きな外遊びができない雨の日も楽しむことができるのだろうか。考えても考えても分からないので、いっそのこと本人に聞けば解決するのではないか。
そう考えた私は、雨の日にその子に直接、私が思っている疑問を投げかけた。なぜ、外遊びが好きなのにも関わらず外遊びができない雨の日も楽しめているのか。
すると、「私も最初は雨が大嫌いだったんだけど、お母さんが教えてくれてから大好きになった楽しみ方があるんだ」とハードルを上げて言ってきた。そしてその子が教えてくれたことは、今まで私が考えたこともないような、いや、考えられないような答えだった。
「雨が降ると、色々なところに当たる音を聴いてみると楽しくなってくるよ。鉄にあたると出る音、アスファルトに落ちていく音、葉っぱにあたる音、いろいろな音があるの。まるで、空が演奏会を開いてくれているみたいじゃない?その中でも、傘をさすと自分もその演奏会に参加している気分になれるよ」と教えてくれたのだ。
小学生の時の私は深く考えることなく、良い考え方してるなとしか思わなかった。
しかし、成長するにつれ、あの時の言葉は視野を少し広げるだけで見える世界が変わってくるということだったのではないかと思う。
雨が降るからこその楽しみ方がある。視野を広げるだけで世界は変わる
雨の日は外で遊べないから楽しくないのではなく、雨の日は雨が降るからこそ晴れの日にはできないような楽しみ方がある。小学生の私はまだその意味を理解はできなかったとはいえ、成長した今、理解できているのだから、私自身の視野や考え方も少しは広がったのではないかと感じる。
そして、その子が教えてくれたことは私の雨の日を大きく変えてくれた。そう考えると、私は小学生の時には大きな収穫をもうしていたということになる。
その子は小学5年生の時に何も言わず突然転校してしまい、今は何処にいるか、何をしているかさえも分からない。
しかし、雨の日には必ずその言葉を思い出すので、私の中ではずっと雨の日の楽しみ方を教えてくれた親友であり、その子との思い出はずっと心に残っている。