人は誰しも心のどこかに、「しまっておきたい過去」というものを持っている。それはある時急に、煙のように目の前に現れることもあれば、誰かが発した言葉によってやむを得ず引っ張り出されることもあるだろう。
梅雨の近づく午後の音楽室で「目障りだ」と存在を否定された私の唯一の居場所がグランドピアノの下であったこと、夢を嘲笑われた日の教室の匂い、そしてニコニコと可愛い笑顔で持ち前の器用さを武器に私を散々裏切り、コケにした彼女の後ろ姿。
一年越しに会った彼女は東大生となり、予備校で恋人まで作って、幸せそうに微笑んでいた。ニコニコと、あの日と同じ笑顔で。

一番心を許して何でも話せる、生涯の友と思えた学年ヒロインの彼女

彼女は中学生の頃から、学年のヒロインだった。
学年トップの成績に整った顔立ち、そのうえ空気を読んで場を盛り上げる力まで兼ね備えた彼女の事を嫌う人は、学年で誰一人としていなかったと思う。
高校2年生になって初めて同じクラスになった私達は、あっという間に仲が良くなった。彼女はいつも私と一緒に笑っていたし、じっと目を見て話を聴いてくれる優しさに私はいつも救われていて、「これが生涯の友というやつなのかもしれない」と心の内で思ったりもした。
ある日友人関係の話になり、私は彼女に中学3年生の時にいじめられた話をした。
「あの子とあんまり距離感近く出来ないのはそういう過去があったからなんだ」と言うと彼女は納得し、「絶対誰にも言わないね」と真剣な表情で頷いた。
一番心を許せる、親友。心の底から感謝した。

一瞬で変わった関係。マブダチだと笑ってたあれは、全部偽物だった

その次の日、彼女は私をいじめていた女の子と遊びに出かけた。SNSのフォローを外して、新しいアカウントを作った。
私と彼女は、相互フォローなんかじゃなくなった。私の片思い、でもなくなった。一瞬の内に、ただの他人になった。
彼女は、一緒に笑っていたのだ。私の1年間をぐちゃぐちゃに潰した可愛い女の子と、仲良く一緒に、キラキラ笑っていたのだ。
許せなかった。あの日の言葉は何だったんだ。「マブダチだよ」なんて言って笑ってたあれは、全部全部偽物だった。
その日以来私はもう一度、クラスで孤独になった。「なった」というより「された」のである。喋ってくれはするものの、一緒にいてはくれない。わたしはいつでも、どこにいても独りだった。
美しい似非の優しさは、ある種毒であっただろう。

偽物の優しさは、毒ではなくて処方箋。皮肉にも彼女から学んだこと

浪人した彼女は今年、沢山の夢を叶えて私の前に現れた。
日本でトップ、順風満帆な、キラキラした、輝かしい人生。何も言えないでいる惨めな私に、全てを掴み取った彼女はこう言った。
「やっぱりあゆなべ面白い、私が大阪帰って来たらまた遊びに行こうね!」
悲しかった。悔しかった。彼女は最後まで優しかったのである。
負けた負けたと人生を嘆き、後ろを振り返ってばかりいる私は彼女から、皮肉にも前へ進む大切さを教わったのだ。
偽物の優しさは、毒ではなくて処方箋だった。あの日の辛い思い出も、過ぎ去った自分の過去や生き方も、全ては自分の後ろにあることを教えてくれていたのは、紛れもなく彼女だったのである。
そう言えば彼女は高校時代、よく私にこう言っていた。
「あゆなべは我が道行くって感じだよね」
ゴーイングマイウェイ。ゴーイングマイウェイ。あの日の彼女の後ろ姿は、もう見えない。
切るべきゴールテープはきっと、今の私たちの、ずっと先だ。お互いの夢へ走る私達はまだまだ未完成で、踏み出す一歩一歩が輝いている。
完走したときたぶん私は、彼女にこう言うのだろう。
「おめでとう、そしてありがとう」と。