4年間の大学生活を共にした友人がいる。いた、と言った方が正しいのかもしれない。
彼女は文章を書くことが好きで、映画が好きで、本が好きで、ユーモアのある、素敵な女の子だった。
彼女と過ごした時間は楽しかった。ゼミが別になっても、校舎が離れても、私たちの絆が途切れることはなかった。
大学を卒業しても、約1年の間はよく遊んだ。
休日にはおいしいフルーツパフェを食べに行ったし、おすすめのお笑いや映画を勧め合って、くだらないことでいつまでも笑った。映画館でのオールナイト上映に足を運んで、朝まで一緒に映画を見て、始発までの時間、一緒にマックを食べたっけ。
「もうすぐ大学を卒業して1年経つね」なんて話しながら、ステーキを食べたのが最後だったか、カフェでお茶をしたのが最後だったか、私はその日を思い出せない。
「これからも一緒に」そんな連絡がきた後、彼女は音信不通になった
彼女は、ある日突然消えた。
もしかしたら、「消えた」という言い方は正しくないのかもしれない。音信不通になったのだ。
私の誕生日に、「おめでとう」というメッセージと一緒にメールに添付されていたのは、海の画像だった。
そこにはクジラの死骸なのかなんなのか、よく分からないものが写っていた。
彼女は海のそばに住んでいたから、私はその画像について特に不思議にも思わずに、「ありがとう!てか誕生日になぜこの画像w」くらいのノリで返したことを覚えている。
そのあとも「これからも一緒に笑い合って支え合ってなんとかたのしんで生きていこう」といったような明るい返信があり、たのしいやりとりが続いていた。
そして彼女はいなくなった。
ある日突然、何度メールを送っても、電話をしても、何の返事もこなくなった。
はじめのうちは「体調でも崩してるのかな」と思ったし、繊細な心を持ち、いつも落ち込みがちな彼女は過去にも数週間連絡が途絶えたことが何度かあったから、まさかそこから今日まで、何年もの月日が過ぎることになるなんて夢にも思わなかった。
しばらくは定期的に「大丈夫?」「なんかあったならいつでも連絡まってる!」「会いたいぞー」などと送ってみたが、その声は届かなかった。
しばらくの時が経って、迷惑だろうと思いつつも、すごく心配していること、返事がなくても元気に生きていてくれたらそれだけで嬉しいと思っていることを伝えるメールを送った。
もちろん、返事はなかった。
誰が連絡をしても返事はない。ある日突然一生会えなくなった彼女
私を嫌いになって縁を切りたくなったのか、それだけでも悲しむには十分だったが、どこかで元気でいることが分かれば、それだけでよかった。
だけどそれも違った。彼女は大学時代の友人の誰にも、もう連絡を返していないようだった。
私だけでなく、誰が連絡をしてもなんの返事もない日々が過ぎていった。もう、彼女の近況を知る術もなかった。
彼女が突然消えた理由は、今だって分からないままだ。
別れは、かなしい。さよならは、胸が潰れる思いがする。
けれど、「さよならを言える別れは幸福」だと、私は彼女との出来事を通して知った。
それが死でなくとも、ある日突然、一生会えなくなる。それは彼女のようなケースでなくとも多分にあり得る。
「またね」と言い合って解散して、その後一度も会わない知り合いだって山のようにいる。
大切な時間を一緒に過ごしても、いつがその相手との「最後の日」だったのか、思い出すこともできない別れが、人生にはいくつもあるはずだ。
大好きだった彼女とのこの出来事を通して、そのことに痛いほど気付かされた。
会えなくなった彼女が教えてくれた「さよなら」を言える幸せ
「またね」と手を振り合ったその日が、永遠のさよならになるかもしれない。今目の前にいるこの人と笑い合えるのは、もしかしたらこの瞬間が最後なのかもしれない。
そんなことを毎日考えているわけではないけれど、ふとしたときに彼女が教えてくれる。
彼女がいたから、学んだことがある。
「別れは新しい出会いの始まり」という、よく聞くその言葉よりも、私にとってはたしかなこと。
「さよならを言える別れは幸福」。そう胸に刻んで、これからも前を向いて生きていくよ。