私は知識として理解していたことを実践しただけだ。しかしそれでも、小1時間は旦那を起こせずに悩んだし、「勘違いかな」と思いたい自分もいた。
お腹の赤ちゃんを守る判断ができるのは、私だけ。それは確実だった
それは今から約1週間前。私の3度目の帝王切開が予定されていた日の、早朝のこと。昨夜までは激しかった胎動が、一切感じ取れなくなっていた。
不安になった私は、リビングを歩き回ってみたり、深々とソファに座ってみたり。そんな「いつもならば」「こうすれば」をたくさん試してみた。しかし、不安は拭えなかった。
薄暗い部屋の中、スマホで検索してみれば、「臨月に胎動が落ち着くことはよくあります」だの、「受診せずに後悔しました」だの。そこには十人十色の経験談があるだけだった。
私の勘違いかもしれない。でももしかしたら、何かものすごく大変なことが、私の胎内で起こっているのかもしれない。「何か違和感を感じたら、とりあえず電話してね」と言っていた助産師さんの顔が、脳裏に浮かぶ。……お腹の赤ちゃんを守る判断ができるのは、私だけ。それだけは確実だった。結局、私はタクシーで病院へ向かい、時間外の外来を受診した。
そして4時間ほど前倒しで入院し、手術を経て。桜咲く暖かい日の午後に、私の娘は元気な産声をあげた。
たくさんの人が、産婦人科や医療制度に対して、違和感を抱えている
妊婦に限らず、女性が身体の不調で産婦人科を受診する際のハードルについては、最近よく話題になる。産婦人科のレビューは、大抵どこも賛否両論がついている。
Twitterを見てみれば、産婦人科で違和感を覚え、それを伝えづらかったというエピソードが、無数に飛び交っている。
性生活について婦人科の先生に偏見を持たれて、心無い言葉をかけられたという話。治療の保険点数が他の科と比べて低すぎるという意見。たくさんの人が、病院や医療制度に対してハードルの高さ、違和感の伝えにくさを感じている。
出産前後の私も、そうだった。何かを質問したり、先生の判断を訂正するのが、とても難しいと感じた。
帝王切開で麻酔を入れる時、麻酔の効きを確かめるために「つねられている感覚、わかりますか?」と聞かれた。私はぼんやりとした下半身の感覚の中から、その痛みを探ったのだが、ほんのりと違和感を感じた。しかしその感覚を明確に言葉に表すのは、難しかった。
「痛い…痛く…いや、やっぱり痛いですね、つねってますよね、痛いと思います」(痛いと思います。って、なんだ)
それを受けて先生は、「そっかそっか。いくらさんが安心してできた方がいいからね、やり直そうね」と言って下さり、結局合計3度、麻酔針を刺したのだった。
先生が「安心できるまで、きちんとするからね」と言ってくれたこと。その間、助産師さんや麻酔の先生が声をかけて、肩に手を置いておいてくれたことに、私は心底ホッとしたのだった(注射大嫌いマンなので)。
出産後も、返しづらい質問の連続だ。私は経産婦で余裕があったし、今回助産師さんとの出会いにも恵まれていたので、身体のことや退院後の理想を、スムーズに話すことができた方だと思う。しかし、長男を出産した6年前を思い返せば、決してそうではなかったのだ。「母乳」をやたらとプッシュしてくる助産師さんが、もはや「敵」に見えていた。
余裕の無い状態で、違和感を言葉にするのは難しい。その上、助産師さんとの相性もある。長男を出産した産院では、授乳について泣きながら助産師さんと話すママも見かけた。「一生忘れられない」様なことを助産師さんに言われたという話も、ネット上にはある。
多くの女性が、違和感を訴えにくい状態で、違和感を訴えに来ている
産婦人科は、デリケートな場所だ。他人に性器のお世話をしてもらいながら堂々と過ごすのは、誰だって難しい。ホルモンバランスが崩れた状態の女性が、多く訪れる場所だ。みんな、違和感を訴えにくい状態で、違和感を訴えに来ている。その難しさを私はもっと、社会に理解してほしい。
今日は、入院最終日。生後1週間の娘は朝から助産師さんにお風呂に入れてもらい、今はうっとりとまどろんでいる。私はそんな彼女のとなりで、この文章を書いている。
昨晩、私は退院後の生活に不安を感じて、ナーバスになっていた。産院の先生はgoサインを出してくれたけれど、世界の側は、我が子を迎える準備があまりできていない気がして。
悲しいニュースや、不器用な態度の旦那。不安なことはたくさんある。でも私は、ここにいる限り、安心できた。だから、「ずっと真夜中でいいのに」とすら、ちょっぴり思っていた、そのとき。
同い年位の助産師さんが病室を訪ねてきて、話をたくさん聞いてくれた。「ちょっと待っててね」と言って、市のサービスがまとめられた用紙を、持ってきてくれた。「困ったことがあったら、いつでも逃げてきていいからね」と、微笑んでくれた。
それが私にとって、どれだけありがたかったか。「おやすみなさい」と言って彼女が部屋を出た後、私は泣いた。
私は産婦人科でいい出会いがあったが、本来、これは運だとか、そんなものに左右されてはいけないものだと思う。全国的にどの産婦人科でも、違和感を口に出しやすい環境が整っていなければならない。
私は、産婦人科を訪れた全ての人が、違和感を伝えやすいルールが今後、再構築されるといいなと思う。
そして私と娘は、お世話になった産婦人科のみなさんに背中を押されて、今日から。新しい生活を始める。