二十二歳の春、実家を出て一人で暮らしたい、と言ったわたしに、父は「勝手に出て行け」と言った。夜、二十二時過ぎ。仕事から帰ってきて、スーツを脱いでいる最中だった。

実家にいると苦しくなる私に母は「一人暮らししてみる?」と聞いた

父とはあまり話したことがない。
わたしが幼い頃から、父は平日には仕事で夜遅くまでおらず、休日には一日中寝ている人だった。小学生の頃、クラスメイトの女の子が「土日は毎週パパとお出かけする」と嬉しそうに話していたのを聞いたとき、わたしはびっくりした。

今のわたしなら、その感情に、悲しいとか、みじめだったとか、そういう名前をつけるかもしれないけど、当時はただ「パパが遊んでくれる」という事実に驚いた。

実家を出るきっかけは、わたしの病気だった。精神的に不安定で、実家にいると余計に具合が悪くなる。それがわかったときに、母がそっと「一人暮らし、してみる?」と聞いた。わたしは頷いた。

父は多分、人と接するのが得意ではない。わたしは父のそういうところばかりを受け継いでいて、だから余計に、父と話すことが難しかった。

家を出てから送られてくる父からのLINEは父の声で再生されない

父が、どういう人なのか、わたしにはわからない。気難しい頑固な人、という感じでもない。無理に明るく努める日もあるし、受け入れられない事実に激昂する日もある。気分屋なのかもしれない、とこれを書きながら思ったけれど、それも本当かどうか、わからない。

父のことを思い出そうとすると、いつも、薄暗い和室で布団を敷いて横になっている姿が思い浮かぶ。それが休日の父の姿だった。疲れ切って、家族のことなんて忘れて、声をかけてもなかなか起きない。ご飯を食べない日だってあった。

「父に実は伝えたいこと」というエッセイのお題を見たとき、書けるだろうか、と思った。
本当に、わたしの頭の中に、父への言葉なんてあるんだろうか。いつも横たわった後ろ姿ばかり見てきたのに。

家を出てから、ときどき、父からLINEがくるようになった。
「大丈夫か?」「体調はどうなん?」「元気にしてるか?」「お金は足りてるか?」
わたしを気遣う文字列は、しかし、父の声では再生されない。あまりにも、父の声を聞いていない期間が長すぎた。不器用なスタンプが飛んできて、初めて、この人ってこんなスタンプを使うんだ、と思う。

もっと話してきたらよかったな、とたまにこれまでの父との関係を振り返ることがある。
家族から逃げるみたいに眠り続ける父のことを、わたしもまた、避けていた。父と母の折り合いが悪かった時期は、母の見方(味方)についた。たくさんのことを一人で決めて、勝手に決めてから、父に報告した。相談、すればよかったのかもしれない。

健康に生きている間に話がしたい。お父さんへ伝えたい想い

わたしが二十三歳になった直後に、父の父、わたしから見ると祖父が倒れた。駅のホームでつまずいて、頭を打って、意識不明になった。生死の境を彷徨って、なんとか生き残った。
電話でそれを聞いたとき、わたしはとても当たり前のことに、今さら気がついた。祖父母も、父も、母も、姉も、わたしも。みんな、いつかは死んでしまうのだ。

わたしはずっと病気の影響で死にたい死にたいと思っていたけれど、いつかはみんな死んでしまう。そう思ったら、あと何度、この人たちと話せるんだろう、と思った。

ねえ、お父さん。
お父さんは、小さい頃、どんな子どもでしたか? なんでお母さんと結婚したんですか? お姉ちゃんやわたしが生まれたとき、どんな気持ちでしたか? おじいちゃんが倒れて、怖かったですか? なんで、ずっと逃げるみたいに眠っていたんですか? わたしのこと、少しでも愛してくれていますか?

今、わたしは正直に言うと、お父さんのことが好きではありません。好きだって言えるほど、お父さんのことをなにも知らないからです。ずっとずっと、会社から疲れて帰ってきて、眠ってる顔ばかりを見ていました。

たまに交わす言葉はいつもすれ違って、うまく会話ができたこと、ほとんどないですよね。
たくさんのことが、聞きたいです。わたしもまた、話したいです。できれば、健康に、生きている間に。