「お前は、世界で一番幸せになれるから、大丈夫だ」
父は少し悲しそうに、けれども嬉しそうにそう言った。

わたしは小学6年生の時、最愛の母を乳がんで亡くした。小学6年生というのは多感で、親離れするにはあまりにも早すぎる年齢だった。
もう母の死から、11年が過ぎようとしている。哀しいことに、母のことを思い出そうにも、もう思い出せない。けれども、与えてくれた言葉や優しさは、ずっと胸の中にある。時間が解決するとは こういうことなのかもしれない。

苦しんで、傷ついていた父の心の安定剤となったのは…

父にとっても、専業主婦で家を守ってくれていた母を亡くした代償は、かなりの深い傷となったと思う。そのときの父は、自分の思い通りにいかないと物に当たったし、わたしの心を傷つけた。
もともと正義感は強かった父だから、悪いという自覚はあって、そんなコントロールが効かない自分にも苦しんで、傷ついていたと思う。その傷をどうにか埋めるのに必死で、せめて暴力だけは振るわないために心の安定剤みたいなものが必要だったのかもしれない。

だから、手段は選ばなかった。
あれは中学1年の夏だった。学校から帰宅すると、家に韓国人の女が、リビングの椅子に座っていた。そして父が、わたしと弟に言う。
「今日から住むことになったからな」
当時のわたしと弟は唖然となった。いきなり私たちの許可なく、勝手に住むと言い出すのだから。怒りよりも悲しみよりも、自分だけの傷を癒やすために、子供の気持ちを一切考えられない子供以下の脳みそに、一発拳を打ち込みたかった。

あれから11年。女は相変わらず実家に居座っている。
わたしは家を出て、現在は一人暮らしを始めた。その女が父の身の回りのことをしてくれているので、その部分だけの気持ちで実家にお金は入れている。
私は社会人になってから、金銭面で一切父を頼ったことがない。当時は貧乏で、弟の学費が払えなくなるからどうしても就職して助けて欲しいと言われ、夢は諦めた。
スマホを持ったのも、社会人になってからで、自動車学校も仕事終わりに夜間で通い、合格発表を一番楽しみにしてくれていたのは父ではなく、職場の上司だった。
あの時の父は、「どうせお前はできないに決まってる」が口癖で、わたしに期待をすることもなければ、無関心だった。
苦しくて、悔しくて、もがきながら、毎晩のように部屋で声を殺して泣いた過去を父は知らないだろう。
それから、車を買うときだって当然、自分の足でローンを組みにいった。
成人式も、父は仕事を優先して来なかったし、本当に1円も出してもらった記憶がない。
寂しさの反動でか、とびきり豪華で綺麗な自分の写真を、自分で買った。なのに、残るのは虚しさのほうが勝った。

父を笑顔にして、誇らしく自慢できる娘になりたかった

先月は、父からお金のことで「お前の名前を貸して欲しい」と言われた。かなり悩んだけれど、正直こっちも一人暮らしで精一杯の生活を送っていてそれどころではない。
そのへんは、うまくかわして腐れ縁の友達みたいな関係を続けている。

そんな親失格な父だけれども、わたしも今はそこそこ大人になって、嫌いだけど「好き」と言える部分を見つけた。
それは父を連れて2人で行った軽井沢旅行だった。わたしがふいに思い立って、連れ出したのだ。
理由は「生きている間に、もっと向き合って話せたら、素直にありがとう、って伝えられたら、死んでしまったらもう二度と伝えることはできない」という母の死から学んだ後悔から来ていた。
だめな父でも、父には変わりない。
ならばわたしはそんな父を笑顔にして、少しでも「生んで良かった」って思ってもらえるような、誇らしく自慢できる娘になりたかった。

旅行中、穏やかな時間だけが流れる部屋で、父が言った。
「いつも仕事ばっかりで、親らしいことできなくて、ごめんな」
いつも豪快で情に熱くて、弱気な姿を見せない父が、苦しそうに、そう言った。
かなり驚いた。同時に色んな気持ちが交差して、胸が痛かった。
「なんで謝るの、私たちのために毎日仕事頑張ってるんだから、もう十分だよ」
わたしは涙を隠すように、明るい声色で返していた。

この軽井沢旅行のことを、今でもたまに二人で話すことがある。
そのときに決まって言われるのが、「あの旅行で、お前がすごく成長したんだって気づいたよ。昨日まで泣き虫で、弱くて、子供だったのに今は強く前向いて、お店の予約から1日のプランまで考えてくれて大人になったんだなあって、感動した。旅行行けてよかったよ。」
そう言って照れながら笑う父の横顔が、大好きだ。

父と本音で話せる瞬間が、たまらなく愛おしくて、抱きしめたくなる

わたしは、きっと父の前では「よくできた娘」を無意識に演じているのかもしれない。
そして父も、「よくできた父」でいようと前までは演じていたのかもしれない。
良くも悪くも私たちは似ているせいで、よく衝突する。
「娘が入院してるっていうのに、女との約束優先とかどういう神経してるの!?」
「うるせえ!!お前が病気なんかするから悪いんだろ!!?」
ちょっと、いや、大分、わたしの父は親に向いてないと思う。面白いくらいに。
でも、たまに、たまに、本音で話せる瞬間がある。その瞬間が、たまらなく愛おしくて、抱きしめたくなるのだ。
そして、その部分はきっと、大好きな母も、好きになった部分でもあるんだと確信した。

父はわたしと似て強がりで、きっと背負ってるものも大きい。
だからわたしが下を向いてたら父が悲しむし、悲しんでいる所を見せたら、少し叱られてしまう。
だから、父の前では「強くて可愛くて愛される娘」でいる。それが父にとって、笑顔の根源でもあり、幸せだと思うから、わたしが今はそうしたい。

きっと父はわたしのこの本音も、本当は弱くて父に甘えたいし、頼りたい子供っぽい性格も
知らないし、きっと知ろうともしないだろう。
でもいつか、わたしに新しい家族ができたとき、お酒を飲みながら、ここに書いた“本当”を笑いながら伝えられたら。
その瞬間、腐れ縁の友達から本当の家族になる日が、来るのかもしれない。