幼少期の私は、絵本の中のお姫様に憧れた。キラキラしていて、レースやリボンがたくさんあしらわれたドレスを着たかった。大きくなったら、きっと着られると夢見ていた。

保育園のお絵かきの時間は、画用紙に自分がなりたいお姫様の姿を描いていた。ふわふわのロングヘアーに可愛いドレスとヒールの高い靴、そして輝く笑顔。きっと自分もこうなれると信じて、クレヨンを動かしていた。

私は自分が「可愛い」と感じる心を信じることができなくなった

その絵を見つけた同じ組の男の子は「なんかへんなのかいてるー!」と言った。画用紙を取り上げられ、周りのみんなに見せびらかした。みんなは笑った。

私も笑った。意味がわからなかったけれど、みんなに合わせて笑った。自分の絵の何が変なのか、どうしてみんなは笑うのか、理解できなかった。ただ、お姫様の絵を描いている子は、私以外いなかった。

小学生になり、給食袋やサブバッグなど持ち歩くものが多くなった。私の給食袋は花柄だった、バラの模様が描かれていて、とても可愛いと感じていた。

「ダサッ」すれ違った声がそう聞こえた。それ以来、私は可愛いと感じる心を信じられなくなった。

ライブで出会った女性は可愛くて、憧れたお姫様のような服が似合う

大学生になった私は、とある女性アイドルにはまっていた。憧れは絵本の中からステージの上へ、昔よりは少しリアリティなものになった。

ある日、そのアイドルのライブに1人で行くことになった。あまり大きくないライブハウス、スタンディングやワンドリンク制など慣れないルールに困惑していた。たくさんの人が密集している空間に、知り合いは1人もいなかった。

寂しさから、近くにいる人に話しかけてみようと思った。「あのー、ステージ見えますか?大丈夫ですか?」振り返った女性は、とてもきれいだった。「大丈夫ですよ」と彼女は言った。見知らぬ人との会話だったが、なんとか成立した。「よかったら、ライブ始まるまで話しませんか?」と聞いた。「いいですよ」と彼女は応えてくれた。ライブが始まるまでずっとおしゃべりをし、私たちは意気投合した。

彼女の名前は、みそら。アニメの趣味がよく合い、趣味友になった。アイドルのリリースイベントや、好きな作品のコラボカフェ、同じ映画を何回も観に行った。何より、服やコスメを一緒に見に行くことが多かった。

みそらは、とてもオシャレに詳しかった。一緒に遊びに行った日に着ていたワンピースが限定品だったり、デパコスを探しに行って店員さんに積極的に話しかけたりしていた。

「今度のライブ、お揃いのワンピースで行こうよ」とみそらに誘われ、連れて行ってもらった服屋さんは私の憧れていたお姫様が今の時代を生きていたら着ていそうな服がたくさん並んでいた。一緒に入った試着室の中で鏡に映った自分は、小さい頃になりたかった自分だった。隣にいたみそらは、もっと可愛かった。人気の美容院で整えられた髪、うるっとつやめくカラコン、同じデザインのワンピースなのに大きな差がついていた。

いつ見たって、どこを見たって可愛い人。私が大きくなったらなりたかったのは、みそらのような人だった。「めっちゃ可愛いじゃん!」ワンピースを試着した私を見て、みそらは言った。みそらに言われて、私はこの服を着ていいのだと気づいた。

私の好きだった「可愛い」を引き出してくれたのは、君だった

お姫様に憧れたらバカにされ、可愛いものを身につけたら疎まれてきた私の「好き」という感性をみそらは引き伸ばしてくれた。

一番私の可愛いが引き出された時は、みそらとディズニーランドに行った日である。どんな服を着ていくか1ヶ月迷ったが、みそらから可愛いと言ってもらえた1着を選ぶことができた。

売店で買った花飾りをつけて、シンデレラ城を背景に2人で撮った写真は、何度見ても最高に可愛いと思える。あの時、私たちはお城にふさわしいお姫様になっていたのだ。

現在、コロナ禍でみそらと簡単に会えなくなってしまった。次はどこに行こうねという話や、最近買った可愛い服の話で、次に会える日を楽しみにしている。会えない間にもっと可愛くなって、またみそらとお姫様になりたいと思いながら、日々を過ごしている。