約3000日の雨の中で、至高のどしゃ降りの日が私にはある
28歳、人間をはじめてから10000と300日くらいになるらしい。
物心ついた時から暮らしているここ東京都では、平均して年間100日ちょっと雨が降っているらしい。365日のうち3分の2以下だ。超ざっくり単純計算で、3000日ちょっとの雨の日を過ごしてきたことになる。
半ば強制的に外で遊ばされていた休み時間も雨が降れば例外で、教室で絵を描いて過ごすことができた小学生の頃とか、河川敷デートをしていたら突然大雨に見舞われて、制服の白いYシャツをびったり肌にはりつけ大笑いしながら急遽解散した高校時代とか、仕事がつらかった日の駅からの帰り道、泣きながら傘なしで雷雨に打たれたこととか、雨の気配と共にタイムスリップするのはいつも日常の何気ない瞬間……ではない。
一生涯この自分史で語り継がれるであろう、至高のどしゃ降り非日常体験が、ある。
なるべく濡れないようにと着たカッパを2曲目で脱ぎ捨てた私たち
時は2013年4月某日、記録的爆弾低気圧が日本列島に襲来していた。その地も例外ではなく、当日まで天気予報をこまめに確認し、何とか、何とか、天気が持ちますようにと祈っていた。全国で何万人もの人間が祈っていたはずだ。
その日は大好きなバンド、シドの横浜スタジアム公演だった。
あの大きい大きいスタジアムの中、私はセンターブロック通路側最前から4列目という奇跡の座席番号を手に入れていた。開場と同時に席へ行き、眼前10mほどにそびえ立つステージセットを見上げた。
横浜に着いた時には降らずに耐えていた雨は、もう本降りになっていた。鞄をビニール袋に入れ、簡易カッパの前ボタンを全部留めてその時を待った。なるべく濡れないように。なるべく髪の毛が崩れないように。
目の前に現れた、青い衣装を纏って歌うその人の眼を、口を、手を、一生懸命見た。雨のせいで視界が遮られ、鬱陶しかった。でもその人に打ちつけられる大粒の雨にライトが当たってハナビラみたいに綺麗だった。
さっきまでの決意はどこへやら、私たちは2曲目でカッパを脱ぎ捨ててしまった。座席でくるくる環るのに邪魔だったし、何しろテンションが宇宙の彼方までいってしまっているので、この雨さえも材料にしてやると思ったからだ。
その頃には本降りを超えて豪雨。案の定頭はすぐに濡れて、前髪はあっという間にふたつの束になった。
あの日はどしゃ降りだったから神秘的な体験になったのかもしれない
大人になってくると、本気で雨に挑みに行くことはそうそうない。
4月の雨はまだ冷たい。しかももう夜。でも、浴び続けるうちに雨は体温と馴染んで、ふわっと布を羽織っているみたいだった。髪の毛だって最初のうちは水が滴ってくるけれど、頭皮までびっしょりになれば収まった。眼の中まで浸水して、愛するボーカリストの姿はほとんどぼやけていた。
ファン心理として「推しと同じ空気を吸っている」と言うような表現がされるけれど、あの日の雨はそれを可視化してくれた。文字通り身も心も全て差し出して同じ時間を味わい、テンションが宇宙の彼方までいったついでに私の身体はそのまま雨に溶けた。
ここで記憶は帰りの駅構内に飛んでしまう。何時間もあったあのライブのことをほとんど思い出せないのだ。当時の記事や映像を観ればそりゃ覚えているけれど、私の視点での記憶がごっそり無い。
時間が経って忘れたのではなくて、はじめからあの雨の感触と心の感覚だけを記憶していた。そうやって他の思い出とはひと味違った形でずっと身体に残っている。
あの日が雨だったからこそ、一生に一度の神秘的な体験になったのかもしれないし、あの日が雨じゃなかったら眼球が機能してもっとよく覚えていられたかもしれない。
ただ確実に、過去3000回ちょっとの雨の日、堂々の第一位。