出会いは保育園。並んでミルクを飲んでいた私たちは今、並んでお酒を飲んでいる

『あの子』がいたから、私という人間はここまで成長できた。私はあの子に感謝している。
今から約20年前、私はオギャーという第一声を発してこの世界に誕生した。
それから4ヶ月ほど経った頃、私は保育園のベビーベッドでスヤスヤと眠っていた。そんな私の隣で、あの子もスヤスヤと眠っていた。これが、私とあの子の出会いである。
すくすくと成長するにつれて、次第に確立するものが性格である。性格に関して端的に言うと、私とあの子はまるで正反対である。例えるならば、太陽と月だろうか……。綺麗に例えすぎている気もするが、ここは目をつぶってほしい。
あの子は、太陽のように明るく活発な女の子だった。いつも元気いっぱいでハキハキとしており、スポーツとおしゃべりが大好きであった。
一方、私は月のように静かで大人しい女の子だった。幼い頃は、典型的な人見知りであり、一人で絵を描くことが好きだった。このように、まるで正反対の私たちだったがなぜか気が合い、いつもどんなときも一緒だった。
小学生になると、学校でも遊び、学校が終わるとすぐにランドセルを置き、あの子の家まで自転車を漕いでいった。一日の大半をあの子と過ごすくらい仲が良かったのだ。
しかし、私たちはいつでも仲が良かったわけではなく、もちろん喧嘩もした。女の子の喧嘩は、なかなか厄介なものである。なぜなら、仲直りをするまでほとんど会話をしないからである。お互いに会話をしないので、もちろん何を考えているのか分からない。
そんなときは、手紙を書いてこっそりとあの子に渡すのである。すると、不思議なことにすぐに仲直りができた。私は、何度この手紙という偉大な意思疎通手段に助けられただろうか。手紙を生み出した方々に盛大な拍手を送りたい。
そんなこんなで、たまに喧嘩もするのだが私はあの子にどんなことでも打ち明けることができ、信頼していた。特に、あの子に一番感謝していることがある。それは、あの子が私の友達の輪を広げてくれたことだ。
あの子の周りにはいつも自然と人が寄ってくる。そのため、人見知りの私でもあの子といるだけで自然と友達も増えた。
しかし、中学校を卒業した後、私は大きな壁にぶつかってしまった。なぜなら、高校であの子と私は離れ離れになり、一人になってしまったからだ。
私は、そのとき初めて友達をつくることに対する難しさを痛感した。友達は釣りのように待っていれば自然と寄ってきてくれるものではない。ましてや、私のような人見知りの性格であれば友達づくりに苦戦するのは当然である。
高校生の私は「あの子さえいてくれたら、もっとたくさん友達ができたはずなのに…。」と何度思ったことだろうか。当時はなかなか失せることのない心の中のもやもやと戦っていたのだが、今ではいい思い出である。
高校で、私はあの子に頼りすぎていたことに初めて気づいた。この事実に気づいた私は、自分にやるせなさを感じたのと同時に、あの子という存在のありがたさを心から感じた。そして、私は自分の力で多くのよい友達をつくることができた。あの子のおかげで私は人間関係の壁の高さを知り、その壁を乗り越えるという大きな成長ができたと今では自信を持って言うことができる。
二人並んでミルクを飲んでいた私たちは今、二人並んでお酒を飲んでいる。なんだかとても感慨深い。
あの子は当時と変わらず、いつも笑顔でおしゃべりが止まらない。私は当時と変わらず、うんうんと頷きながらあの子の話を聞くのである。変わったことといえば、飲み物くらいだろうか。あの子は今でも私のよき相談相手である。
「これからもずっと親友でいようね」
あの子と交わした手紙には、必ずといっていいほど、この文章が入っていた。最後に、お互いにもう照れくさくて言えないこの言葉で締め括ることにする。
「これからも、お婆さんになってもずっと親友でいよう」
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