両親が離婚する前、犬を飼いたいと父にせがんだら言われた言葉
「その命、ちゃんと最後まで責任持つことができるのか。」
私が幼少の頃、犬を飼いたいと父にせがんだ時、言われた言葉だ。
おもちゃではないんだよ、飼うことになったらその子が死ぬでお世話することになる。それをお前はわかっていない。
誕生日にも、クリスマスにも何度お願いしても、犬を飼うことはなかった。
私が小学四年生の時、両親は離婚した。原因は父にあった。親権は母となり私は母の実家がある熊本に引っ越すことになった。離婚自体はさほど悲しくはなかった。どちらかというと、住みなれた東京の街、親しい友人達との別れに寂しさを覚えた。
その後、母が一人で育ててくれた。きっと私の見えないところで頑張ってくれたのだろう。反抗期や思春期はあったものの、特に不自由を感じることなく日々を過ごし、大学まで行かせてもらった。
久しぶりに会った父に「感謝をしろよ」と言われ、感じた憤り
父とは特に会いたいと思ったことはなかったが、母に言われ、年に一度ほど会いに行っていた。その時は遊園地やショッピングモールへ行ったりしていた。
二十二歳になった。就職活動のため東京に用事があり、久しぶりに父と会うことになった。
その時父はこう言った。
「感謝しろよ。俺は周りから偉いって言われてるんだ。ちゃんと養育費を払って、定期的に子供に会って。今年で養育費を払うのも最後だ。ようやく終わる。」
私はその時、あの言葉を思い出した。その命、ちゃんと最後まで責任持つことができるのか。
あぁ、そうか、今目の前にいる男はあの時の幼かった私のような無責任な男なのだ。
お金を渡すだけ、それだけで子育てしていると思っている。トイレの掃除や散歩もない。犬の世話より簡単じゃないか。私は今までにない憤りを感じた。
子育てでの苦労や、困難を母は一人で抱え込んでいたのだ。そのことに申し訳なさも、感謝も感じることなく、自分はちゃんと世話をして偉いと思っているんだ。私が風邪をひいた時、受験勉強をしていた時、進路に悩んだ時、部活動の送り迎え、そこに父はいなかった。
好きな食べ物、色、音楽、友達の名前、初恋の人、何も知らない。いったい誰と話しているのだ。私について他人以上に無関心な男が目の前にいるだけだ。
母は心配してくれるけど、こんな状況でも連絡をしてこない父
私は東京に就職することになった。その際に、あの男から連絡があった。
何かあった時のために住所や職場を教えておけ、その言葉に返事はしなかった。
それ以来、あの男とは連絡を取っていない。災害が起きた時や現在のコロナ禍で、あの男から連絡が来たことは一度もなかった。
仕事を始めて数年が経った。時折、母から、大丈夫?一人で寂しくはないですか?と連絡が来る。その度に大丈夫だよ、ありがとうと言い、お互い日頃の些細な話をする。
実家では猫を飼い始めた。きっとその子は最後まで幸せに暮らせると思う。
だって、母が育ててくれるんだもの。いろんなことが落ち着いたら、会いに行きたい。
電話越しに聞こえる母を呼ぶ猫の声を聞きながら、私は電話を切った。