わたしは、20歳を過ぎて、とあることをきっかけに、母と祖母に、父に似ていると言われることが増えた。父に似ていると言われることが嬉しいということを、わたしは父に伝えたい。
女家系で育った私。いつしか女は頼られてなんぼと思うように
わたしと父は、最後に会ってから、10年くらい経つはずだ。
最後に会ったのは、いつ、どこだったのか全く覚えていない。わたしが物心ついた頃には、わたしの両親は離婚していた。そして、わたしは、母に育てられた。
わたしが小学生の途中までは、年に一度、たしか夏休みくらいに、父がわたしの住む町へやって来て、何日かを二人で過ごした。何でも買ってくれたので、父と過ごす時間をそれなりに楽しんでいたことは記憶している。
何がきっかけだったのか、わたしにはわからないが、ある時から父の訪問は無くなった。そして自然と、父のことを考える機会はめっきり減っていった。
わたしの家族は、女だけである。父はいないし、わたしが物心つく前から祖父は難病でわたしが小学生の時に他界、父のような存在だった母の兄であるおじさんは、鬱病になった末に、数年前急死した。
わたしは、母と祖母が祖父やおじさんの介護やサポートに徹していた姿を見ていた。だから、男の人に頼る感覚がまるでない。むしろ、わたしたち女の人は頼られてなんぼ、という考え方である。
そして、「ほんとにわたしたちって、何でもできてしまうね。」と、母と笑うことが多い。どんなに重い段ボールでも、腰が痛いと叫びながら運ぶ。「あんたこんな時でも頼れる彼氏もいないの?」と母に笑われながらだ。
麦焼酎のウーロン茶割りが好き。母は「お父さんと同じだね」と言った
ちなみにわたしは彼氏がいない。できない。今までに、この人頼もしいなと思う男の人に出会ったことがない。母の再婚を望むものの、母は、面倒くさいの一点張りだ。こんな調子であるので、ありがたいことに、わたしは父がいればなと思ったことは一度たりともない。父が聞いたら悲しむかもしれないが、母がすごすぎたということである。
ある時、わたしが、「麦焼酎のウーロン茶割ってめちゃくちゃ美味しいんだよ。知ってる?」と、母に言った。すると、母は一瞬驚いた表情をして、笑った。「お父さんと同じだね。」と続けた。
母の口から、父のことについて発せられることは本当に無いことなので、とても驚いた。
ちなみに、父と母が大学生だった頃、麦焼酎のウーロン茶割は今ほど認知されてなかったらしい。母によると、父は麦焼酎ウーロン茶割先駆者の一人だそうである。さすが、先駆者の娘、麦焼酎のウーロン茶割が好きである。
それから、わたしの性格は父にそっくりだということも判明した。わたしは、何でもなんとかなると思うし、怖いことなんて何もない。心配するという考え方が欠如している自覚もある。母と祖母は、わたしとは真逆で極度の心配性である。わたしは、思いっきり父の性格を引き継いだようだ。
このようにして、麦焼酎のウーロン茶割をきっかけに、わたしは父に似ていることがわかった。そして、父の存在について意識するようになった。
父に会えたら、似ていることを「悪くは思ってないよ」と伝えたい
父に似ていると言われることは嬉しい。嬉しいと感じる理由は、自分の中に父という男の人の存在を感じることができるからだと思う。女の強さを感じながら生きてきたものの、どこか自分の中で男の人を感じたい気持ちがあったのかもしれない。
わたしにとって、父に似ていることは、父である男の人のおかげでわたしが存在していることを自覚させてくれることである。だから、嬉しい。
大学を卒業したら、父に会いに行くことが、祖母からの命令である。父に似ていると言われることが嬉しいとは、なんだか恥ずかしくて言える気がしない。けれど、悪い気はしないんだよねとは伝えられるといいな、なんて父との再会を思い描いている。