15歳、雨の日のことだ。傘を盗まれた。
小さな言い争いがきっかけで、クラスメイトの女の子にいじめを受けて1年が経とうとしていた。
移動教室から戻ると机が乱暴にひっくり返されていたり、掃除時間が終わるとかばんにはチョークの粉や砂が撒かれていた。私に聞こえるようにわざと大きな声でひどいことを言っては、嘲笑する。そんな彼女だけでなく、クラス全員との距離がなんとなく遠のいた。一言でいえば「孤独」である。
自分を固い殻で守っておかなければ、私の心は折れていたのかも
しかし、私も私で意地を張って、いつも澄まして真っ直ぐ前を向いていた。また受験生だったため、休み時間はすべて自主勉強に充てていたため、丁度いいとさえ感じていた。
担任の先生は毎日のように相談の場を設けてくれていたが、「彼女を叱らないでくれ」なんてお願いしていた。
心の支えは、当時マイブームだったQueen。いまは亡き天才フレディー・マーキュリーに思いを馳せれば、私は孤独でも平気だった。自ら他人との距離を置き、近付こうともしない。別に謝ってほしいわけでも、また仲良くしたいわけでもなかったし、さほど酷いことをされている実感もなかったのである。
思い返せば中学生らしい自分よがりな、いじめの相手を心から軽蔑していることによる非常に生意気な思考ではあったが、そうやって自分を固い殻で守っておかなければ、私の心は折れていたのかもしれない。
最も愛おしい記憶。同じ傘の中で、穏やかで優しい時間が過ぎた
とある雨の日の夕方、下校しようとすると、持って来たはずの傘が傘立てに見当たらなかった。「盗まれた」と瞬時に見当がついたため、仕方なく雨の中を一人歩いた。
学校の近くのバス停まで歩くと、友人が立っていた。小学校からの友人で、「傘、盗まれちゃった」と苦笑する私に駆け寄って傘に入れてくれながら、彼女は「そいつのこと、殴ってきてやる」と言い放ったのである。
小学校の頃からどちらかといえば気が強く負けず嫌いな性格で、常にドライで自立したタイプ、そんな彼女らしい言葉であったと思う。残念ながらクラスは別々であったが、私がいじめられていることに腹を立て、殴ってやりたいとさえ思ってくれる、その変わらないあたたかさに私はこの上ない安心感を覚えた。
彼女は、外界との繋がりを絶つための私の殻を、無理矢理叩き割るわけでも、強引に揺さぶるわけでも、はたまた殻を破れと説教するわけでもなく、清々しい3度のノックで明るく顔を覗かせてくれる人だった。バスがやって来るまでの少しの間、同じ傘の中で過ぎる穏やかで優しい時間が、思い返せる雨の日の中で、最も愛おしい記憶だ。
私の心の支えに、傘に入れてくれたあの友人が加わった
次の日の朝、学校に着くと、私の傘は靴箱の上に無惨な形で、ほこりを纏って放置されていた。私はジャンプしてそれを手に取ると、ほこりを落としてきれいに細く巻いて、傘立てに真っ直ぐ立てた。
いじめの相手に「今日は何をされるのだろう」と憂う気持ちが、消えたわけではない。クラスメイトと打ち解けてみようとは、無視をされている身としては、やはり思うわけなかった。それでも私は昨日までよりずっとずっと、心強い気持ちでいられたのである。
その日から、心の支えは当時マイブームだったQueenと、傘に入れてくれたあの友人。
いまは亡き天才フレディー・マーキュリーと、彼女のぶっきらぼうで優しい言葉に思いを馳せれば、私は孤独でも平気だった。
なぜなら心の中は、全く「孤独」ではなかったのだから。