大人はおこさまメニューを食べてはいけない。
これはファミレスにおいては暗黙ではなく、厳密に記載されたルールである。子供用のメニューの下に記載された、「お子様メニューは*歳までの提供となります」という記載は私の胸をそっと焦がす。

別に自分は子供舌というわけでも、特段偏食や好き嫌いがあるわけでもない。
ただ、私はお子様ランチを食べたい。

「わーい」と「うまい」だけで食べられるお子様ランチ

大人になって食べ物に思うことはたくさんある。
まず、食の多様化はもちろんだけれど、それ以外にも食べ物の種類や感想の語彙や要望が増えた。
特殊な知恵がなくたって「生クリームがマシマシのパンケーキ」や「激辛ラーメン」「デカ盛り」くらいは分かる。
その他にも、「マクロビオティック」だの「熟成肉」だの、あらゆる情報が増えた。
逆に言えばそういった飛び道具がなければ、食事に誘う文句も話題も乏しくなった。

SNSの長いタグも、目を引き寄せるあの写真たちも、正直私は気持ちがおなか一杯だ。
お子様ランチの実物を見てほしい。できればお近くのファミレスで見てほしい。そんなにめぼしいものはないはずだ。
きれいな食べ物たちは、撮られ、見られ、評価に値し、一言も二言も感想が求められる。
うっとおしい。「わーい」と「うまい」だけで事を済ませてほしい。流行したアニメ映画も、キャラクターが弁当をうまいうまいと「だけ」言って食っているシーンにお子様どころか大人たちも釘付けだが、実際あんな感じで食事がしたい。

評価じゃなくて、映えるじゃなくて、それでも心をくすぐり直情に訴える料理。
お子様ランチもその一つなのではないだろうか。評価も映えもなくていいから、誰かが作った、自分にちょうどいい。
そういう、削って削って削った語彙と評価の中で、うまい、うまいと言いながら私はお子様ランチを食べたい。

おなか一杯じゃないタイプの満足が欲しい

大人になった我々のお子様ランチに値すると思われるメニューは「ミックスグリル」が基本と言えよう。
悲しいかな、別に量を求めていない。正直言うと、アラサーは代謝が落ちてきたので、若いときみたいにそんなもりもり食べられない。

レディースランチはデザートを充実させれば、量を減らせば、野菜を増やせば、絵面を良くすれば。そんな大人の嫌な打算的かつ、先に述べた「評価」への「舐め」を感じることも少なくない。
別にこだわりのデミグラスソースだのタルタルソースも特段求めていない。ケチャップとかマヨネーズでいいから。

職場そばのレストランが「大人様ランチ」なるものを発信していたが。
ちがう、そうじゃない。そうじゃないのだ。お子様ランチに上位互換はない。お子様ランチはお子様ランチで独立しているのだ。
おなか一杯じゃないタイプの満足が欲しい。そんなこんなで、私はお子様ランチが食べたい。

毎日キラキラしていないくても、ハッピーなことが山ほどなくてもいい

かくいう私は、もうすぐ最後の20代を迎えようとしている。辛い。これからはアップグレードはなく、ダウングレードの時代を私の体は迎える。
先に結婚出産を迎えた友人たちを中心に太っていく様を、明日は我が身かとストレッチしながらすごす日々だ。

食べ物への賛辞もちょっと疲れた。おなか一杯ももう食べられない。子供向けのパンケーキとお子様ランチの量がとてもうらやましい。邪念を含めるなら、お子様ランチの絵面が茶色いのでサラダでもつければ最高だ。
たくさん食べることがハッピーとは限らない。適量で、食べたいものをすこしずつ盛って、腹7分目の穏やかな気持ちで食事がしたい。
そんな邪念の量も含め、私はお子様ランチが食べたい。

別に毎日キラキラしていないくても、ハッピーなことが山ほどなくても、いいとこ10個を言ってもらえなくてもいい。
疲れない頭と心で穏やかに過ごせる、魂が休まるような、でもわくわくするような。
お子様ランチが、私は食べたい。