小学1年生、初めての通学路は想像以上に、はてしなかった。片道40分の半分を地下鉄に揺られながら、背中に重たいランドセルを背負うことになってしまった6歳の私は、かなり途方にくれたし、不安だった。全て、小学校デビューと共に電車通学デビューをすることになったせいだった。

花散らしの雨が降る頃、泣きたい気持ちでいっぱいだったあの頃が蘇る

 毎年、桜が満開になった後に、4月の花散らしの雨が降る。その度に私は、初めての通学、重たいランドセル、満員の電車、周りはサラリーマンだらけ、しかも頑張って行った先の小学校にはまだ友達がいない、という五重苦に加え、蒸れた長靴と重たい傘にうんざりして、泣きたい気持ちでいっぱいだった小1の自分の姿が脳裏に蘇ってくる。
 真新しいランドセルを雨から守れば自分が濡れるし、自分を守れば教科書が濡れる。びしょびしょのランドセルで通勤ラッシュの電車に乗り込めば、周りの大人が嫌な顔をする。だから、雨の日は学校に行くのが嫌でたまらなかった。
 嫌だ嫌だ、と思いながら学校へ向かっているのが良くなかったのか、ある雨の日憂鬱な顔をして歩いていた私は、危うく大怪我をするところだった。
 駅へと下るエスカレーターが雨水のせいで滑りやすくなっていたところに、これまたびっしょり濡れたゴム製の長靴を履いていた私は、うんざりした気持ちでぼーっとしていた。そしてこの日に限って中身がパンパンだったランドセルを背負い直そうとしたところ、体の大きさに見合ってない荷物のせいで盛大にバランスを崩したのだ。

なぜ、雨の通学路が大嫌いだったことだけはっきり覚えているのだろう

 足元の状態は滑りやすさ100%だったから、そのまま勢いよく後ろにひっくり返って、尻餅から滑り台式に落っこちていく自分を、瞬間的に想像してあきらめた。
 しかし、たまたま見送りに来て、手をつないでいた父親が、慌てて私の腕をそのまま引っ張り上げてくれたおかげで、なんとか落下事故は免れた。心臓のバクバクと引っ張られた腕の痛みに、少々安心したけれど、本当に怖かった。これからは雨にすねながら学校に行くのはやめようと、幼いながらに誓った。
 けれどなぜ、自分がこんなに「小1の雨の通学路」が大嫌いだったことだけは、はっきり覚えているのか不思議で仕方なかった。その後同じ通学路を使って、5年間小学校に通っているのに、その間の思い出は無いに等しい。この4月も、桜散らしの雨がひどく降って、また幼い頃の記憶が蘇ってきたから、母にその話をしてみた。すると意外なことを言われた。

母が教えてくれた、あの頃の私が毎日憂鬱だった理由

 〇〇ちゃんが入学した4月は、びっくりするくらい雨の日が多かったの。ずっと雨が降ってて、ママも帰り道、駅まで迎えに行くのに毎日びしょびしょだったから、そのために自分の長靴を初めて買ったんだよね。
 母の言葉に納得した。雨の日ばかりで、どうも6歳の私は毎日憂鬱だったようだ。だからこんなに、雨を見ると初めての通学路の受難を思い出すらしい。今年の4月の雨はなかなか激しかったけれど、おかげで長年の謎がスッキリした。
 おまけに、お迎え用の長靴を買いに行く母の姿を想像して、少し心がぽっとした。
 一人で不安だった雨の通学も、実はずっと母に見守られていたのかもしれない。黄色の帽子の下で不機嫌な顔をした6歳の私に教えてあげたくなった。雨の日も一人じゃないから、頼むからしっかり前見て歩いて、と。そして、もうすぐ晴れるよ、と。