私の父は、心身共に健康な人だ。多趣味でチャレンジ好き、仕事の愚痴は一切言わず、何があっても家族の前では常に上機嫌でポジティブ。娘の私から見ても、夫としても父親としても、よくできた男性だと思う。

だけど、そんな父に一つだけ文句を言いたいことがある。「私の外見をからかわないで欲しかった」と。

不器用な人の「悪気がない発言」なら、何を言っても許すべき?

父にとって、私は最初の子供。核家族の一人っ子で女兄弟もおらず、男ばかりの学生時代を過ごしてきた父には、年頃の女の子への接し方など分からなかったのだろう。

私が成長し体が変化するたびに、「歳の割に胸が大きい」「毛深い」「唇が分厚い」などとからかってきた。笑いながらあっけらかんと指摘してくるので、悪気はないのは子供の私にも分かったが、その度に気まずい思いをしてきた。

母や祖母に文句を言ったが、相手にされなかった。「娘の成長が嬉しいのよ」「娘が父親似なのが嬉しくてからかいたくなっちゃうんでしょ。ほら、好きな女の子にちょっかい出す男の子と同じ!」「男はいつまでたってもお子ちゃま、女は『ハイハイ』って受け流して相手してあげないとね」と笑う。

私には子供がいないから親の気持ちは分からないけれど、母曰く「父は娘がかわいいから、弄りたくて、気を引きたくてからかったのだ」と言う。毛深かろうが、目が細かろうが、太りやすい体型だろうが、それでも好きだから。大切に思っているからこそ、欠点が愛おしく感じるのだと。

「欠点だなんて思ってないよ、君は自慢の娘ですよ!」とニコニコ酔っぱらいながら言う父からは、確かに悪気は感じられない。

そうよ一重はチャームポイント! ぽっちゃりでも毛深くても私は私! 私って最高! と思える性格なら良かったのだけれど、残念ながら私はそんなにポジティブにはなれなかった。気にするなんてバカげてる、と頭では分かっているけれど、中学・高校と年齢を重ねていくにつれ、自分の容姿に自信が無くなっていった。鏡を覗く度に、かつて言われた父の言葉が頭をよぎる。

毛深い、一重、目が細い、鼻が低い、たらこ唇、体が大きい、すぐぽっちゃりになる、目立つ……。

この国は、外見に関する「ネガティブキャンペーン」で溢れている

大学生になってからは、コンプレックスを解消しようと40万円かけて全身脱毛し、一重が嫌で瞼がかぶれてもメイクで二重を偽装し、背が高いのをごまかそうと猫背になり、声が低いのが嫌で声を小さくし、太りやすいのが嫌で胃痙攣を起こし貧血で倒れるまでダイエットをした。

父だけが悪いのではない。一番最初にからかってきたのが父親なだけで、脅すような美容広告や女性誌、すれ違いざまに道路の反対側から「ブース!」と嘲ってきた顔も名前も知らない男子高校生達、容姿弄りで笑いをとるテレビ番組など、外見にコンプレックスを抱くようになる原因はいくらでもあった。家庭、学校、サークル、職場、路上、画面の中……どこにいても、外見いじりは付きまとってくる。

そして、時代は令和になったけれど、政治家、著名人、身近にいる人達……他者の外見に対する不用意な発言で炎上する人も後をたたない。ニュースを見ながらふと想像する。もしこのおじさんが私の父親だったら……全然笑えない。だって、あり得るから。

狼狽え、激昂し、泣き言をこぼし、己の発言の何が悪いかも理解できないまま、仏頂面でしぶしぶ謝罪らしき言葉を述べる。「息苦しい世の中になったもんだ」とぼやきながら。そんな父の姿、絶対見たくない。

彼らは、どうしてこんなにも他者の感情に対して鈍感で、悲しいほどに想像力が無いのだろう。彼らにも家族がいて、もしかしたら娘もいて……と想像すると、なんだかこちらまで悲しい気持ちになってくる。

好きだけど恥ずかしくて褒められないから「からかう」のは伝わらない

今の私はダイエットしていたころより15kgも太り、目は一重のままで、声はもう少し低くなった。でも、今の私は嫌いじゃない。

それは、「一重の目の形が好き」と言ってくれた夫、「柔らかいお声が素敵」と褒めてくれたマナー講師のマダム、「痩せていたときよりも存在感があってセクシー」と気に入ってくれた外国人の友人……今の私の外見を受け入れてくれた彼らのおかげだ。彼らはけっして外見をからかわず、素直にただ褒めてくれた。父にもそうあってほしかった。

お父さんはもうこの歳だし……今さら変わらない。「男なんて言っても分からないんだから……」と母達は言うけれど、私はまだ諦めてはいない。今からでも父に伝えたい。

からかうのではなく、初めから素直に褒めてくれればよかったのに。好きだけど恥ずかしくて褒められない、だから意地悪してからかっちゃう! そんなのは小学生男子で卒業して。相手が嫌がってるならすぐに止めて。「お尻大きいね」は、褒め言葉じゃないから! 分かるかなぁ……?