物心ついたときから太っていて、よく友達にからかわれた。母が「うちの子はぽっちゃりだから」「資本金かけてるんだから」とそれを正当化するのも、自分の見た目も何もかもが嫌だった。持久走は一番ビリだし、かわいい洋服は見つからない。努力が足りなかったとは思うが、成長期だからとてんこ盛りにされるご飯の前では痩せ方も分からなかった。

高校で部活に明け暮れたら、いつのまにか20kg痩せていた

 転機が訪れたのは高校生の頃だ。文武両道を掲げる高校で勉強に部活に毎日明け暮れていたら、いつのまにか20kg近く痩せていた。ブカブカになった制服はもったいないからと買い直してもらえず、ブレザーが歩いていると言われるほどになった。

 自身の心境にささやかな変化があったとすれば、メイクに興味を持って休みに友達とプリクラを撮りに出かけるようになったことだろうか。久しぶりに会った人からはもれなくみんなから驚かれたし、ユニクロのジーンズが履けるようになった。お腹がつかえないのでいつまでも体育座りしていられる。そんな毎日はなかなか画期的で新鮮だった。

 あれから10年。めでたく太っちょを脱却してそこからは華やかな生活を送ってきたかと言われるとそうでもなく、体重は株価のように上昇と下降を繰り返している。コロナ禍のように長く人と会わないと、次に会ってみるまで痩せているか太っているかわからないので、最早シュレーディンガーの猫状態だ。

太っても、痩せても、私は常に一定のテンションで低空飛行している

 こんな具合で膨らんだりしぼんだりを繰り返す人生の中でわかったことがある。それは自分がどんな見た目でも思うほど性格が変わらないということだ。

 太ったからと言って過剰に卑屈になって塞ぎ込むかというとそうでもないし、痩せて多少マシな見た目になっても自己肯定感爆上がり、とはならず決して調子には乗らない。常に一定のテンションで低空飛行な自分がいる。

 外見は中身の一番外側、なんていうけれど。コロコロ変わっていく外側に対して、内側は全然変わらない。私の考えや価値観はよく言えば一貫性があり、悪く言えば進歩がない。

 テレビで何十キロも痩せた!とやっている仰天チェンジの人達をみたことがあるだろうか。あの人達はすごいと思う。題名の通り、外見の変化とともに人生が劇的に変わる人が多いからだ。一見すると外見が変わったことによる人生の変化は恩恵のような、受動的な印象も受ける。しかし実は彼らの内側から溢れ出すエネルギーが中身の一番外側にまで影響を及ぼして、自身の力で能動的に人生を変えているのではないだろうか。

 まっすぐなエネルギーで自分の人生を切り開いていける彼らが羨ましい。変わらない安定感もあるけれど外見だけじゃない、そんな劇的な変化を経験してみたい。私にはそんな気持ちがある。

 こんなことをつらつらと書き連ねていたら、会社の先輩からLINEが来た。最近妙に頭から離れない、そんな人だ。まずはここで一歩踏み出してみるのもいいのかもしれない。コロナが明けたら、食事に誘ってみることにしよう