服装の乱れは心の乱れ、と言う。
だから校則を守れ、と。

中学・高校の時、今思い出しても嫌な校則があった。
前髪についての規則だ。
前髪は目にかからない長さ、髪は肩についたら結ぶこと。
横の髪を前に垂らすの禁止。

とはいえ、もちろん生徒はそんなの守らない。先生も、よっぽどのことがない限り特に何も言わなかったと思う。
でも生活検査の時だけ、普段守ってもいないそのルールを守っていた。
私はその時間が嫌いだった。形骸化したルールに何の意味があったのだろうと今でも思うし、何より私は自分の顔にコンプレックスがあったからだ。

嫌な状態ではない姿でいることは、精神衛生上よろしい

私は丸顔で、それがあまり好きではない。
自分で言うのも何だが、おたふくみたいでちょっと嫌だ。
故に横髪を垂らして、顔のラインを隠す。
それによって印象がだいぶ変わるし、嫌な状態ではない姿でいることは精神衛生上よろしい。一種の鎧のようなものだ。

だというのに、生活検査の時は横髪を後ろの髪と一緒に束ね、顔のラインは丸出しにしないといけない。
たった1時間。されど1時間。私は私の好きではない見た目になることを強要されるのだ。
しかも理由が、校則で決まっているから。
つまり、風紀の乱れを阻止するため。
さらにかみ砕けば、心の乱れを阻止するため。

髪や制服を校則の通りにしていれば心は乱れないらしい。
へえ。
……そんなことあるもんか。
確かに私たちの学校は大きな風紀の乱れなんかなかった。だけどやっぱり普通にいじめはあったし、それは校則とは全く関係のないところで発生した別物の現象だ。
嫌な見た目を強要されるぐらいなら、好きな見た目でいたかった。
たった1時間でも、自分の好きな自分でいたかった。

今なら、「意味ないからやめましょうよ?」と言いたいと思う

当時は今ほどSNSが活発ではなく、というかスマホとかそんなになかったし、ブラック校則なんて言葉は大きくとりあげられなかったように思う。私自身、学校において校則があるのは当たり前だと思っていたし、多少理不尽でも「しょうがない」と諦めていた。
前髪の長さの指定、ポニーテールは禁止、下着は華美でない白のものを着用、髪を結ぶ際のゴムは黒もしくは茶色。リボン等装飾品はだめ。マフラーだって華美でないものじゃないと認められなかった。

今思い返しても、服装や格好については「なんで?」というようなものばかりだ。
今なら、「意味ないからやめましょうよ?」と言いたいと思う。
たとえ発言することはできなくても、例えば生徒会室の前にあったあのご意見箱。ああいうのに何個も投稿して問題提起ぐらいはできるだろう。
問題提起だって、継続的に多くの人が提起していれば状況だって変わってくるはず。

ルールを守ることが、社会にとって大切なのは分かるけど

ルールを守ることは良いことだと思う。
実際に、ルールを守ることで社会が良い状態で維持されているというのも実感できる。
でも、果たしてあの校則は意味のあるルールだったのだろうか。
生活検査の時だけきちんとして、他では特に守ってもいなかった形骸化したあのルール。
今の私ならこう言うだろう。

「そんなルール、破っていいよ!」