子供の頃から晴れが好きだった。
なぜかって、晴れたその日に遠足やプールの授業があったら、必ず行われるからだ。
それに、お日さまの光があった方が気持ちがより明るくなる気がする。
行事やお祭りが大好きだった私は、好きな天気は、と聞かれれば「晴れ」とほとんど即答で答えていた。
単純明快な、子供らしい子供だったと思う。
季節で変わる空気の匂い。中学生になり、自然に目を向けるように
少し様子が変わってきたのは中学生くらいの頃だ。
あれはお正月を過ぎたあたりだったか、おつかいに行く道すがら、ふと空を見上げた。
空が青い。
そのことに私はとても驚いた。
冬は空気が乾燥しているからか、空の青が深く、澄んで見えた。
小さい頃から見慣れてきたはずの青空の存在を、はじめてちゃんと受けとめられた気がした。
この日以来、私は自然の小さな出来事にも時々目を向けるようになった。
空の色をはじめ、道端の名も知らない草花や街路樹1本1本の枝ぶり、季節で変わる風の温度、空気のにおい、
時を経るごとに愛でられるものが増えていった。
だが、なぜかくもりと雨だけは、20歳を過ぎてもその良さがわからなかった。
くもりに至ってはいまだによくわからない。
空が雲に覆われることで、目の前の景色が灰色に染まってしまう気がする。
そうなると自分までもが灰色に抑制されるような気がして、なんだか面白くない。
だから、くもりや雨が好きだということを人から聞くと、内心かなり本気で驚いていたものである。
好きな理由を聞いても、なぜかいまいち共感できない。
晴れが好きな人がいれば、くもりや雨が好きな人もいる。あたまではそうわかっているし、もちろん否定しているつもりもない。
なのに、なぜ私には良さがわからないのか。
そう思いはじめてから、くもりや雨の存在がだんだん心に引っかかるようになっていった。
くもりと雨の良さが理解できなかったある日、雨が降った
そんなある平日の午後のこと、
まだ日が落ちる時間でもないのに、カーテンの向こうがずいぶん暗い。
――雨か……。
若干テンション落ちぎみでカーテンと窓を開けた。
やっぱり雨だった。
どしゃ降りという訳ではないが、小雨でもない。
そこそこ大きい雨粒が、地面に向かって垂直に落ちていく。
とにかく見事な雨である。
雨は灰色一色の暗い街を、ただひたすら濡らしている。
見た目にはそれだけだった。
サーッ……。
静かな雨音が聞こえた。
その瞬間、心の中に溜まっていた雑念が、なぜか一瞬で消えた。
私は、自分がモヤモヤしていたことに気づいた。
雨は街を、私の心の中のほこりを、静かに洗い流してくれた
いま思えば、私は焦っていたのかもしれない。
もの書きとしてはやく1人前になりたい、
そのためにはもっと頑張らねばならない、
それと日常の雑事、家族のこと、
あれやらなきゃ、これやらなきゃ、
普段は意識しすぎてもしょうがないから適度に無視していた想念や不安がいつの間にか大きくなって、私の心の中で慌ただしく砂ぼこりをあげながらぐるぐると回り続けていた。
私はそれにまったく気づいていなかった訳ではなかったけれど、でもこれはもう仕方のないことで、そう思うしかないと諦めていた。
なのに、それが雨の音を聞いた瞬間、ウソのようになくなった。
それどころか、心を曇らせていたものがなくなったおかげで、街までキレイになったように見えた。
まるで何かの魔法にかかったかのようだった。
これにはちょっと驚いてしまった。
驚いたというのは、雨の浄化性に対してだけではない。
浄化されるほど自分の心が不安だらけだったことを、私はこの時になってはじめて思い知らされたような気がしたのだ。
でも、全然嫌な気はしなかった。
雨は街を、私の心の中のほこりを、静かに洗い流してくれている。
そのことが、私には心地よかった。
その一瞬だけだったが、久しぶりに素の自分に戻った気がした。
我にかえって、ふと思った。
――雨が好きな人はこういうところが好きなのかなぁ……。
雨の良さを理解できた分、また少しだけ大人になれた気がした。