あのルールが破れたら、今すぐ、頭からこれでもかと水を浴びる。
そして、服を脱ぎ散らかして、グラウンドへ駆け出すのだ。
暑くて最悪な体育の授業後、水をかぶり上半身あらわに笑いあうEくん
その日はとても暑かった。ジリジリと肌を焦すような太陽が照っていて、こんな日に体育の授業を行う先生はバカなんじゃないかと思った。
男子と女子が分かれて、グラウンドで野球をすることになった。野球なんて一度もやったことがないし、1mmも今やりたい気分じゃない。ただ授業だからやっていた。
口の中に砂は入るし、自分が投げたボールがストライクなのかボールなのかも分からない。ただ、ボールを捕手という人が持っているミットの中に入れることが私の精一杯。へなちょこボールだが、とにかくミットに入れることさえできれば勝てる。そんな勝負だ。
なぜなら、ほとんどの女子はあの細い棒でボールを打つことすらままならないから。
つまり、何が言いたいかというと、とにかく汗だくのぐちょぐちょで、退屈で最悪だ。
授業が終わって、男子の笑い声が聞こえた。男子たちが水飲み場に群がっている。蛇口をひねって、頭から水をかぶっている。あれば坊主頭のEくんだ。あぁ、彼は確か野球部だった。水飛沫が光にあたってキラキラしている。
Eくんの服が濡れている。非常に当たり前に濡れている。Eくんはびしょびしょになった服を脱ぎ、上半身をあらわにした。乱暴に自分が着ていた服で自分の頭をぐしゃぐしゃと拭き、男の子たちと笑いながら男子更衣室に入っていった。
私が女子更衣室のドアを開けると、モワっと甘ったるい香りが押し寄せてきた。花の汁と汗を混ぜたような制汗スプレーの匂いで充満している。
「おっぱい」になった私の胸は、Eくんのように自由になれない
私はEくんが嫌いだ。
彼を見ていると、自分の不自由さに気づいてしまう。
彼は自由で、お前は自由ではないと、真夏の暑さがじりじりと囁いてくるようだ。
私だってやろうとすれば、頭から水をかぶって、ああやって上半身をあらわにして、無造作に髪を拭くことができる。
やろうとすればできる。
頭から水を浴び、自分の着ている服でガシガシ拭いて、上裸になり、グラウンドへ走り出して、風を感じる。
やろうとすれば、私だってできるんだ。
ただ、私が自分の乳房を人前であらわにするには、Eくんと違って勇気が必要だ。
なぜならこれは、性的対象の「おっぱい」になってしまっているからだ。
少年漫画のヒロインは何かと服をビリビリにされがちだ。「きゃー」と「おっぱい」を隠すヒロインが多い。そして、時にはハプニングで「おっぱい」をもまれて、恥ずかしがり、時には気持ちよさそうにしたりもする。私はなんだか同情してしまう。ヒロインのおっぱい達よ、お疲れさまである。
私も胸を隠し、時に恥じらい、もまれたら気持ちよさそうにしなければいけないのだろうか?悪いがごめん被りたい。赤ちゃんに乳飲ませてる母親は、別に恥じらわないし、気持ちよさそうにもしないでしょ?
しかし、自分がどう思っていたとしても、高校生の私の胸は、もう誰かから見れば立派に「おっぱい」認定されているのだろう。嘆かわしいことである。
いくら私が自分の胸を性的対象の「おっぱい」ではなく、ただの胸だと思っていたとしても、自分がここで、E君のように上半身をあらわにして、水浴びしていたら、どうだろうか…?
先生は言葉を失い、友人は悲鳴をあげるだろう。ゆくゆくは保護者を呼ばれ、
「お宅のお嬢さんが、体育の授業後に上半身裸になりまして……」
なんてね。
つまりは、気が狂ったと思われる。
私の「おっぱい」はいつ、E君と同じただの「胸」になるのだろう?
海外では「女性の乳首を解放せよ!」と、「#FreeTheNipple」というハッシュタグでInstagramに女性の乳首の写真が大量にあげられている。この勇気ある行動に私は衝撃を受けた。と同時に、どこかやるせない気持ちも沸き起こる。
この勇気も、どこかの誰かに、性的対象の「おっぱい」として消費されてしまうんじゃない?
それを承知していながらも、自分の「胸」を曝け出す強さや勇気を、私はまだ持てないでいる。だからせめて、文字を書く。
あと何枚、女達の乳首を晒せば、世界は変わるのだろう?
私の「おっぱい」はいつ、E君と同じただの「胸」になるのだろう?
Eくんごめんね。
本当はね、あなたが嫌いなわけではないの。
あなたが当たり前のように享受している、その爽やかな風を、私も感じてみたかっただけなんだ。
「あぁ…、今すぐ頭っから水を浴びて、上裸になって、グラウンドへ駆け出したい!!!」