父に実は伝えたいこと。何だろう。「ありがとう」なのだろうか。

“父”ではなく、私は“お父さん”の方がしっくりくる。お父さんといえば、“お金がない”の元凶だと思っていた。

私のお父さんは、「好きなことは我慢するべき」という考えの人だった

私の家族は、長女の私、下に弟と妹だ。そして、父と母の5人。家族の仲は、たいして良くないし、悪くもない。コミュニケーションもあまり取らない。私にとって家族は、“ただ生活を共にする人”だった。

お父さんは人前ではおとなしく、とっても倹約家だ。世間で言う“立派ないい企業”に就いているはずなのに、「お金ない」がお父さんの口癖。例えば、私にとって、土日のお昼のご褒美だったマクドナルド。私は、照り焼きバーガーセットを頼みたかった。けれど、お父さんは問答無用で、100円のハンバーガーを5人分、ポテトのMサイズを2つほど買って、みんなで分ける。5人家族の家計の大変さを知らない、当時の小学生の私は「いい企業に勤めても、現実はこんなもんなのか」と思っていた。

私のお父さんは、“好きなことは我慢するべき”という考えの人。「いい高校、いい大学、大企業へ就職しなさい」と言う人だった。お母さんも、同じ考えの人なので、私もそれが当たり前だと思っていた。

だけど、私は小学生のとき、「舞台俳優になりたい」という夢があった。それは、中学生になっても高校生になっても、変わらず持ち続けていた。「舞台俳優になりたい!」と言うと、決まって「◯◯へ進学できたらね」と言ってお預け。国公立大学へ進学してからは、“好きなことは我慢するべき”という考えが、私にも染み付いていた。

そして、ただ、何となく過ごすようになって就職した。仕事が始まると時間が空き、何故か舞台をしたくなった。それから、歌やダンスのレッスンを始めた。やっぱり楽しくて、舞台俳優をやりたくなった。

会社を辞め、昔からやりたかった舞台俳優になるためレッスンを始めた

ついに家族に何も言わずに、会社を辞めてレッスンへ通った。ただ、レッスンは、想像以上にお金がかかる。そこら辺のワンルームの家賃以上だ。周りの中学生、高校生の生徒は、親に応援されて、きちんとレッスンも通っている。「私も、そんな家庭で生まれたら、世界が変わっていたのかな」そんな思いが、やがて怒りになって、込み上げてきた。

退職後は、レッスンから家に帰るなり「好きなことは、我慢するべきなんだよ。好き勝手にしているお前が1番腹立つんだよ」と怒鳴られて、惨めさだけが残った。

だけど同時に、小学生からの根底にあった「私の気持ちを尊重してくれない」という悔しさが、殺意にも変わってきた。「ここで殺せば誰のしがらみもなくなる」と、本気でそう思っていた。これが、本当の気持ちだと思っていた。だけど違った。

小学生の頃から癒えない、本当の気持ちは「私が大事に抱えていた夢をお父さんにも、大切にして欲しかった」ということだった。「あなたなら出来る、愛してるから、頑張ってきておいで」という盛大な支援が、私にとっての幸せのはずだった。

家に帰れば、大好きだった人に否定される。それは、とても寂しくかった。一つ屋根の下で暮らしているはずなのに、想像以上に孤独だった。部屋に一人で、静かに涙を流すことも多かった。外に出ても、皆が私を否定してくるように思えて、お父さんの分身に見えた。

そして、自分の意見を言うことが、怖くなった。人の顔色を伺うようになった。家族や友達、恋人に対しても「こんな私じゃ愛されないだろう」と思って。

“家族”という存在は良くも悪くも、無意識に私たちの人生の進路を左右するし、性格にも影響する。だけど、この痛みを通して、自分で運命を変える方法があるのだとわかった。それは、“本当にやりたいことを始めること”だ。

幼い頃は当たり前すぎて気づかなかった「お父さんの愛情」

夢は不思議だ。本当にやりたいことだと、どんなに否定されても、目指したいものへ向かって前へ進めるものだと知った。

だけど、やりたいことを始めると、楽しくてたまらないときもあれば、同時に不安も襲ってくる。現在話題になっている老後2,000万円貯金、いつ切られるかわからない不安定な雇用、そして、本当に叶うのかもわからない将来の行く末……。

決して楽なことではないけれど、人はそれでも、ちゃんと前へ進める力があることに気づいた。そんな人になるほど、どこへ行っても必要とされる人間へと変わり、運命を変えるんじゃないかとさえ気づいた。

そして、最近になって当たり前過ぎて、幼い私が気づかなかった、お父さんの愛情がある。それは、“お菓子だけは、小学生の私たちに、好きなものを買わせてくれたこと”だ。お父さんは、仕事帰りのときも皆にお菓子を買ってきてくれていた。

それによくよく考えれば、大学時代の奨学金の支払いもない。他にも、もっともっと沢山あると思う。小さな頃の子育てや、お金の面でも苦労もあっただろう。そして、会社の勤務も、お父さんは転職せずにその仕事一筋。きっと、そんなことたちが、お父さんの「愛してる」のサインなんだと思う。

これらは、私が好きなことを始めたからこそ、気づけたこと。“父に実は言いたいこと”って沢山あった。今でこそ、会話が少なくなったし、本当は、どう思っているかわからないけれど、お父さん、ごめんなさい。せっかく色々塾や高校、大学まで、沢山行かせてもらったのに、フリーターになってごめんね。自慢の娘じゃなくなって、ごめんね。

でも、ようやく、やりたいことをやれてよかった。酷いこと言われて、沢山傷ついたけど、お陰で強くなれたよ。もう、周りの目を気にしなくなったよ。だから、私が本当に父に言いたいことは「今までごめんなさい、お父さん。そして、本当にありがとう、お父さん」。