アラサーと言われる歳になろうとしている今でも、私の理想の男性像は父である。そしてかっこいい存在として抽象化される父だけでなく、生身の父のことを慕わしく思い、何を見て、どのように生きてきた人なのか知りたいと思っている。

寡黙で感情を外に出さず、知的で尊敬されているという父親像

そのことをはっきり自覚したのは、実は最近のことだ。
23歳の終わりまで私は地元関西で暮らしていた。その後の2年間、東京の大学院で学びつつ、心理療法に通う機会があった。

1つのテーマは、常に付き纏う漠然としたさびしさについて。幼い頃から現在に至る、親との関係を検討することにも多くの時間を割いた。私にとっての父親像は、寡黙で感情を表に出さず、知的で、周囲から尊敬されている、ただ母から見ると共感性に物足りなさを感じるらしい、といったものだ。

私は話すことがあまり得意ではない。それもあって、言っても仕方のないことは口に出さず、ただ本当に必要な時、短い言葉で核心を突く、そんな父の姿は自分の理想でもある。

自分のことを話さない父は普段何を考えていて、実際どのような人なのかわからず、謎めいている。ただ物静かにそこにいるだけで、最後にはきっと助けてくれるという安心感を与える、大樹のような人だと思っている。セラピストの先生に対しては、父と同じように圧倒的な知性を持ち、物静かに話す男性だという印象を持っていた。

大人になり、父が自分に興味を持ってくれている確信が揺らいでいた

心理療法の面接の中で、幼い頃は父によく遊んでもらっていたということを思い出した。
内容のある話はしなくても、日常的にスキンシップや歌いかけてもらうような交流があったことで、父は我々きょうだいに関心を向けているというメッセージを受け取っていたのだろう。

我々が大きくなって、そのようなふれあいがなくなると、いつしか、父が本当に自分たち子どもに興味を持ってくれているという確信が揺らいでいたのかもしれない。

セラピストの先生に、「お父さんにもっと関心を持ってほしいという求めがあったのかな」と指摘されるたび、なぜか涙が湧いてきた。

そのような中、2月13日の深夜に福島県沖で強い地震があった。東京でも揺れが長く続き、気持ちが動揺していた。
意外にも、父からLINEで「地震の影響は特に無い?」というメッセージが来た。おそらく被害はないが、怖かったと伝えた。伝えた後で、父に対し「怖かった」と訴えたのには、甘える気持ちがあったと気づき気恥ずかしさを覚えた。

セラピストの先生に、父が地震の影響を尋ねてきたのは、一般的に父が娘を心配する心情よりも、物資の支援といった具体的な対応のためだったはずなのにと話すと、やんわりと、それは決めつけではないかということを示唆された。帰省した際に、母から、父が「東京もかなり揺れたらしい」ということを言っていたと聞き、私の言葉は受け止めてもらっていたのだと感じた。

わざわざ休みを取って引っ越しを手伝ってくれた父から感じた愛情

3月末、私は大学院を修了し、セラピストの先生と最後の面談をした後で夜行バスに乗り、そのまま実家から車で2時間ほどの現在の住居に引っ越してきた。父がわざわざ休みを取って朝から実家を発ち、車で荷物を運んでくれた。

昼に2人で外食をしながら、小学生の時に1度、器械体操の大会に付き添ってくれた父と2人で外食したことを思い出していた。新居で、父は夕方まで次々と仕事を見つけて立ち働いてくれていた。以前に部屋を引っ越した時にも、永遠に終わらないかに見える作業を黙々と、父が丸一日手伝ってくれたことがあった。

近くのスーパーで買った総菜と新居で炊いたご飯で早めの夕食を共にした。1日を通して会話は、引っ越し作業に必要なことや周辺環境に対する短いコメントだけだったが、それに伴うちょっとした表情や、やり取りをしているという事実が大事なことだった。帰る直前の父の姿がどこか切なそうに見えた。

部屋に一人になった途端、何かが切れたように私は泣いた。父からの愛を感じることができた、と報告したい人にはもう会えないのだが、父に直接伝えることができたらいいなと思っている。